プロテスタントとは何か。個人主義とは何か

Staff Blog

私が腑に落ちた答えは「自分で、聖書を読みたいという、願望を叶える主張者」のこと、というものだった。

聖書はラテン語で書かれている。ドイツの片田舎の商人は、ラテン語など読めないし、学ぶ時間も、余裕もない。自分の人生に大きくのしかかるラテン語で書かれた聖書の内容は、専門家である聖職者を通じてしか知ることができない。聖職者が、何が書いてあるのか、その意味は何なのか、どう行動するべきなのか、を解説する。

しかし、あいつは、信用できるのか? この疑義が、カトリック・システムに対する抵抗運動を引き起こした。

これが、歴史的に正しいのかどうか、知らない。自分には、正確さというものは必要ない。ああそういうことか、と自分が腑に落ちればいいのである。

ところで、この「あいつは信用できるのか? (信用できるのは、自分だけである)」という人生観を「個人主義」というのだと理解している。個人主義は、利己的であり、孤独である。

聞いた話だが、フランス人の親は、子供が「友達ができた」というと、「それはよかった。その友達を大切にしなさい。もう友達は増えないから」と言う。友達は、個人間の信頼関係でのみ成立する。三人になると利害が発生し、信頼に基づく「友達」関係を維持できない。

韓国だったかどこかでは「一人1党」。群れること能わず。常に集団は分離、野合を繰り返す、らしい。「私」を確立すると、そうなる。「私」が確立した方が「幸せ」なのか、どうなのか。

こういう個人主義というのは、なぜ生まれたのか、について大変興味がある。古代の庶民にはこういう感覚はなかったはずである。土地所有の形態の問題なのか、交換経済の発達に伴うものなのか。マックス・ヴェーバーとか、カール・マルクスを読み直すのか。

もうちょっと、まじめに勉強しておけばよかった。