冷え、痛み、不快な皮膚感覚は、どうして発生するのか

身体へのヒント

ヒートテックを何枚も重ね着して来院されて、室内が寒いとおっしゃる。
手も足も、腹も頭も、私の手のひらよりあったかいのに、部屋に寒さを感じるとおっしゃる。

私が触れると、冷たいといい、やがてくすぐったいという。耐え難く、くすぐったいという。

この患者さんは、自制心が強い方で、自身の感情を抑えることに長けていて、自分の身にかかる望ましくない運命をも、甘んじて享受する覚悟ができている。にこやかに微笑みながら応対されるが、感動して涙を流すとか、烈しく感情が動くことがない。

「自分は他人に対する怒りという感情が沸いたことがない」ともおっしゃる。こういう方を、仮に大脳的優等生、と呼ぶことにする。

ところで、背中一面のカッピングとか、そもそも鍼とかは、身体に侵害を与える刺激である。人体の生存本能的には、避けたい行為である。

しかし大脳は、それを受ける。「この痛みは小さな痛みであり、身体のより大きな不快を取るためには、引き受けるべき苦痛である」と考える。これを理性と呼ぶのだろうか。

この両者の齟齬は、どのように取引されるのだろうか。仮に本能を自律神経と呼ぶと、自律神経は大脳とどのような取引をするのだろうか。