スタッフ:院長 ブログ

辻本 弘/つじもと ひろし

1958年8月14日生まれ

名古屋市立菊里高校卒
早稲田大学政治経済学部政治学科卒
東京衛生学園東洋医療総合学科卒

国家資格番号:
あん摩マッサージ指圧師 136208号 はり師 159998号 きゅう師 159608号

京都市左京区生まれ。

父の仕事の関係で、東京都杉並区、福岡市南区、名古屋市千種区・瑞穂区と転居が続きました。大学入学後も、武蔵野市、杉並区、中野区、長野県安曇野市、神奈川県藤沢市、品川区、再び杉並区と移り住みました。

転居が多かったため、幼いころからを知る友人が少なく寂しい思いもありますが、反面、いろいろな土地に住み、その文化に浸れたことは大きな楽しみでした。

医療現場は、生死や運命が交錯する残酷な場所なので、仕事が終わるととても疲労します。ですから一日が終わったら、ばかばかしい話をしながらおいしいものを食べる、というのが楽しみです。

お酒を飲まないので、食べ物だけが楽しみだったのですが、最近は年を重ねてきたので、食べ物よりも、ばか話の方に比重が移ってきて、少し悲しい気持ちがします。

東洋医学との出会いは、それまで親しんでいた仏典・孔孟の世界から、初めて荘子や老子を読んだときのような、驚きと違和感に満ちたものでしたが、かといって、いわゆるスピリチュアル的なものは感じませんでした。

たぶんそこかしこに中国的現実主義を感じたせいでしょうか。思弁性は高いけれど、それに終始しない実用性を重んじた医療技術といった理解です。中華街関羽廟に漂う、なまぐさい現世利益や生活観のようなもの。うまくて腹がふくれればそれでいいだろ。そんな地に足が着いた感じです。

西洋医学に比べると実証性に欠けるという批判のある東洋医学ですが、その世界に身をおいてみると、まさに「腑に落ちる」という実感があります。

ところで、鍼灸師とは何者なのでしょうか

どなたかが仰るように、古代から伝承された神秘的な技術の実現者。魔法のように病因を取り除く、奇跡の体現者でしょうか。
さすがにもう21世紀。ここまで狭視的でイノセントな見解には (控えめに申しあげても) 抵抗があります。

そもそも医療には「奇跡」が必要なのでしょうか。

世界には奇跡的な医療人がいると聞きますが、仮にどなたかを奇跡的に救ったとしても、その方に起った奇跡が、別の方の身にも起こるという保障はあるのでしょうか。
そんな不確実なオッズに賭けるより、多年に渡る実績という確率を味方に、病苦と闘うことの方が、はるかに有意義なのではないでしょうか。

神さまのサポートはかたじけなく頂戴しても、実証的な医療技術 (現代医学) も、経験的な医療施術 (東洋医学) も、理性的に選別して最大活用する。

自分の運命を「奇跡」という偶然性に捧げてしまうのは、あまりにももったいなく思います。

もう一つ、院の方針についてお話します

医療においてもっとも重要なことは「希望を捨てない」ということだと考えています。

「希望を捨てない」。当たり前ですね。では希望を持ち続けるためには、何が「必要」なのでしょうか。
「励まし」や「付き添い」なのでしょうか。もちろんこれらは絶対に必要ですが、恥ずかしながら医療関係者が第一に挙げるものではないでしょう。専門家として求められるのはあくまでも「可能性を感じる具体的な解決方針の提案と実行」ではないでしょうか。

あるプランがうまくいかなかったとき、さらに別のプランを起案して、実行する。まただめなら、次を。次を。また次を。
よく「チャレンジャーとして」とか、「あきらめない」とか言いますが、それは「根性」をはじめとする観念論ではなく、「具体案を、たゆまず見つけ出す・考え出す意志」のことをいうのだと思います。

私は、患者さんに、東洋医学に基づく医療サービスを、可能な限り有用な形で提供することが使命だと思っています。
病気は本人にしか治せません。治療を登山に例えるなら、我々ができることは、ガイドやシェルパに過ぎないのかもしれません。しかしガイドであるなら誰よりもルートに精通すべき、シェルパなら荷物をできるだけ多く運び、登山家の負担を軽減しなければならないと思います。それが私ども医療の一端を担う者の志です。

[ご注意] 古マンション3階で、エレベータがありません
弊院は、築50年になる5階建てマンションの3階にあり、エレベータがないので、来院いただくためには、階段を使っていただくことになる。ここに開院するかどうか、この点が最大のネックであった。 で、開業前に師...

近況など、個人的な雑文を書いています。よろしければ、ご覧ください

初春の不快な身体感覚について
花粉症であるので、抗ヒスタミン剤や、坑鼻炎剤も飲んでいて、いつも身体の重だるさを感じているのだけど、それとは別に、身体の中心に熱があり、それが身体を温めようとする。身体は、まだ季節は冬だと判断している...
「合理性」に取り囲まれた社会で、どう生きればいいのだろう
最近、弁護士の方と打ち合わせをする機会が多く、思うことも多い。 ひとつ、たぶん彼らの職業文化は「係争になったときに、勝てるかどうか。どうやって勝つか」が第一のテーマであり「係争を避けるには、どうしたら...
『可愛い嘘のカワウソ』が好きなのだ
こんなに見ていて無条件に幸せな気分になれる絵は、久しぶりかもしれない。 筆のような、水彩のようなタッチは、鳥獣戯画のようであり、物語は (単純なエピソードであることがうれしい) 初期のディズニーのよう...
世界的に、政治の季節なのだろう
わが国も、安倍晋三ー菅義偉-岸田文雄と変遷してきた。いずれもそれなりの問題を抱え、過大評価されたり、過小評価されたりして、現在に至る。 そんな時代に、何か政治学の本でもと思っていたら、図書館で岡義武『...
美しい蓋物を作っていただきました
亡くなった両親を、出来合いの壺に納めるのは嫌だったので、無理をお願いして、蓋物を作っていただく。波佐見の藍水さん。 茶事が好きだった母のと、囲碁が好きだった父のと。
近況・雑文の一覧
「科学とは何をなすものなのか」を考える
今さら、といわれるかもしれないが、山本義隆は私にとっては古典である。 いまは『十六世紀文化革命』を読み直している。 15世紀の大学アカデミズムや、人文主義的なルネッサンスが、17世紀の華々しい自然科学...
『五重塔』幸田露伴を読む
今は無き、谷中感応寺塔建立を巡る職人の話。人々の意地と思惑とが交錯し、登場人物全員が悲劇的運命に犯される話。 明治24年の作。そうかぁ、この文章は、古典落語なのだな。地口と会話の区別が朧な点とか、歌う...
冷え、痛み、不快な皮膚感覚は、どうして発生するのか
ヒートテックを何枚も重ね着して来院されて、室内が寒いとおっしゃる。手も足も、腹も頭も、私の手のひらよりあったかいのに、部屋に寒さを感じるとおっしゃる。 私が触れると、冷たいといい、やがてくすぐったいと...
運動はしなくていい、体操をすればいい
痛みや眩暈、頭痛といった病症は、その原因を一つに特定することは難しい。ほとんどの場合「原因」の複合的な組み合わせによって発生しているからである。 原因が一つではないのだから、何か一つの対策によって、症...
寒い、暑いという感覚について
患者さんの身体をみていて、体熱が充分にあるのに、温覚に過敏で、室温を気にして、タオルを掛けるときの風にも冷気を感じる。施術の指が触れたときの皮膚刺激が強く、痛みではなく、くすぐったく感じる。こういう、...
「あの時代」は、本当に、今より良かったのだろうか
40年来通っている高円寺の喫茶店で、隣り合わせた20代の方に、店の開店当時の高円寺ってどんな感じだったんですか、と尋ねられた。1978年10月のことである。 そのとき、たまたま読んでいた本に「1946...
気象の変化と、身体の状態について
ちょっと雑駁な印象論なので、聞き流していただけるとうれしいのだけど、昨日 (2023/12/21) から、気象の何かの構成要素が変わった気がする。東京の話である。ひょっとしたらさらに細かく私が住んでい...
「正しい姿勢」というのは、神話に過ぎない
「正しい姿勢」「理想的な姿勢」とは、簡単に言うと「耳・肩・腰・膝・くるぶし」が一直線になる状態をいう、とされています。「正しい姿勢」を取らないと「筋肉のバランスが徐々に悪くなっていき、肩こりや腰痛を引...
人間とは何かについて、考えてくれる人が少なくなった -2
「人間とは何か」について考えることの特徴は、それが「答えのない問い」であることである。 たぶん正しくは、答えは、それを問うた人の数だけ、存在している。 そういわれると、それは「問い」とはいえないのでは...

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