毎日患者さんを拝見していると、変化があり、それが予期していたものであったり、不意を突かれるものであったり、それに対する対処を考えたり、付け焼き刃の対策をしたりと、ちょっとした冒険旅行のような感覚があるのだ。新患さんだったりすると、まったく未知の場所に立っているような感覚がして、今でもちょっと緊張する。
人間の身体というものは、常時変換するし、構造は複雑だし、ある意味難解なゲームに参加しているようであり、こういうと不適切なのかもしれないが、飽きないし、楽しい。
そもそもリゾートホテルに泊まっても、レンタカーを借りだし、郊外の民家の軒先や、雑踏している市場を見て歩く方が好きなので、どこかでゆっくりしたい、という願望はすくない。それに、今ではいろいろな映像が出回っているので、興味がある建物も、映像とそれから引き起こす想像で、大体満足できる。
とはいいながらも、現地には現地だけの、魅力があり、オーラがある。その魅力というのには、あまり差や質の差を感じないので、土浦城と、サクラダファミリアに、楽しかった感にあまり差がないのである。
とはいえ、情報の密度が違うので、やっぱりどこかに行きたい。
旅行すると、いつでも、自分がそこで生まれた人間だったら、どのような人生を送るのだろうか、と想像して過ごす。
この辺鄙な村に生まれていたら、どんな人生を送っていたのだろう、あの教会のベンチに時間を過ごしている老人が自分の父だったら、どういう確執が生まれるのだろうか、山の中の仏事の氏子代表で、毎日境内を掃除することが決められていたら、それは楽しい人生なのだろうか、とか。経済的なのだな、と思う。