個人的にはとても重要な、コラムを始めようと思う。
きっかけは、次の文書を読んだことである。ここには医療関係者はもちろんのこと、現代の社会生活を送る、すべての人が考慮すべき、いろいろな物事が込められている。それは「身体と実人生の葛藤」である。
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※この文章における「女性」とは、身体構造的に女性であることを指しています。
よく、少女漫画で、主人公の女の子が、大事な部活の試合があるとか、林間学校の夜だとか、好きな男の子と夏祭りに出かけるだとか、ドキドキ・ワクワク・ウキウキなときに、一転して、「どうしよう…!生理来ちゃった…!(ガーン)」なんてシーンがあるけれど、あれはどれくらいの女性が共感できるんだろうか。生理って、そんなゲリラ豪雨みたいなものじゃなくて、数日前から曇り空で、だんだん雨雲が厚くなって、雨のにおいがしてきて、とうとう雨が降り出す、みたいなものと私は感じるのだけれど、他の女性はどうなんだろう。そんなときに、慣れない浴衣を着て、好きな男の子とデートに行く気分なんかには、とてもなれそうにない。行ったとしても楽しめなそう。
通っている鍼灸治療院の先生に、生理について何か文章を書いてみては、と言われた。思い至ったのは、「生理について当事者が表現したものが、あまりにも少ない」と言うことである。少女漫画の上でさえ、生理は、「本番前に衣装を破かれた」とかと同じような、主人公を逆境に導くためのアクシデントに過ぎない。確かに、彼氏と初めてのキスをしたのは、エストロゲンのせいで、彼氏と喧嘩したのはプロゲステロンのせいでは、物語に何の面白みもない。でも、例えば、ゴッホの『星月夜』のタイトルが、『黄体期(後期)』とかだったら、「おお!よくわかってるね!」と膝を打つ女性はそれなりにいる筈だ。女性が、その個人の視点で、生理について書いた文学や、絵画や、音楽がもっと増えたらいい。この文章も、ささやかながら、その一端になればいいと思う。
ここで私の生理くんを紹介する。
私は、「自分の」生理のことを、生理くんと呼ぶ。鼓笛隊とも呼ぶ。なぜなら、それは私の下腹部で何かを叩きながら、近づいてくるものだからだ。鼓笛隊は、無事到着すれば任務完了。「来る」のが仕事である。だから、生理中よりも生理前のほうが、よっぽど生理くんと話すことは多い。生理くんは大抵の場合、予定から遅れる。「今、どのへん?どんな感じ?」月の半分は、彼らとの通信を試みる。道が渋滞している?人員不足?だが、返事はない。きゅーっと痛くなって、「そろそろか!?」と思えば、また遠ざかる。「あれー、昨日のは何だったの?」体中の血がふくれて、破裂しそうな感じがするときもある。(これを「むくみ」と言うのかもしれない。)そんな日々が5日、7日、14日と続けば、気持ちも疲弊する。一進一退する風邪を患い続けるような、息子からの手紙を待ち続ける母のような。「あぁ、もう今月は来ないってことね…」と、悟りの境地に達したある日「もう、これ以上は無理でした…」みたいなテンションで、子宮内膜が茶色く剥がれ落ちてくる。これを、私の場合、大体30日~45日(もっと長いときもある)に1回の周期で繰り返す。
私の生理くんは、まだまだいろんな部分で伸びしろがある。草食系というか、考え込みがちというか、思っていることをはっきり言わないというか。漢方を飲んだり、毎日欠かさず入浴したり、三食きちんと食べたり、いろいろなサポートが必要である。「来ていいんだよーおいでよー」と言っても「どうせ僕なんか誰も求めていないんでしょう…?」みたいな感じで拗ねている。(でも、そう言いながらも遅刻しても来るようになっただけ、進歩ではある。)もっと自分の行動に自信を持ってほしい。オラオラしてくれていい。鍼灸院に通い始めたきっかけの一つは、生理不順(というか殆ど生理は来ていなかった)だけれど、私の生理がもう少しましなものになったら、彼は鼓笛隊から「暴走族」に進化するような気がする。「お前の事情なんか知らねーよ。俺らは走りたいから走るんだ」って。
※繰り返すが、これは「私の生理くん」の話である。もしこれを読まれている男性がいるなら、あなたの妻や娘や恋人や友人や職場の女性、あるいは女性一般の生理が「こう」であるとは考えないでほしい。しつこいようだが、この文章全体が、個人の視点から生理について書かれている。
生理に起因する心身の不調で、病院を受診したとき、私たちは、自分が異常なのか正常なのかが知りたいのではなくて、出発点としては、とにかく、「この不調をどうにかしたい」。
じゃあどうなるのが本当に理想ですか?って聞かれれば、それが、女性の身体として「異常」だとしても、殆どの女性は「生理とそれにまつわる心身の変動がなくなること」って答えるんじゃないかと思う。妊娠していなかった証拠として、生理が来ると安心するとか、そういうことを除けば、「生理の仕組み」そのものが、不快でない女性なんて、いるんだろうか。実際、年単位で生理が止まっているけれど、そのほうが実生活上快適だし都合がいいから、病院に行ってない人って、結構いると思う(生理用品代もかからないしね…)。
そういう人に「治療」って必要なんでしょうか?
産婦人科で、女性の先生を希望するのは、恋人でもない人に局部を見られる羞恥心とかより、生理周期に関わるメンタル的な不調を訴えたときに、女性なら感覚的に「あー、“アレ”ね」ってわかってくれる気がするから。同じような理由で、選挙でも女性の候補者に票を入れてしまいがち。数日単位で、体とメンタルが変化して、それに対応しきれない悔しさと諦めを経験したことがある人がみる理想と、そうではない人がみる理想は、違うものになる気がする。これは男性差別をしていることになるんだろうか。
ここまで書いて気づいたけれど、生理って、男性からみればある回路かもしれないけれど、女性にとっては、体験/経験なんだよなぁ。季節とか、一年みたいな感じ。「今年の夏は暑いねー」「秋がなかなか来ないねー」。季節だったらみんなでそう言って乗り切れるけれど、生理は自分ひとりで抱えないといけないが、もしかしたら一番辛いのかも。そのうえで、そういうものを想定してあまり社会が設計されていないこと。
生理がなくなることは現実的ではないとして、とりあえずの妥協点はどこなんだろう。冒頭の少女漫画の女の子みたいに、何の前触れもなくスコールみたいに生理が来ることですか?それとも、「この時期だけはやめてくれ」ってとき、例えば大事な試験前夜でも、こちらの事情は全くお構いなしに、自分たちの掟に忠実に、暴走しまくっていることでしょうか?
「理想」の生理ってどんななんでしょう。
こちらとしては、前触れもなく来られると、それはそれで困る。大体の日にちがわかっていようと、荷物受け取りは、なるべく時間指定したいのと同じだ。こっちにも、今日はナプキンを持っていくべきか、とか、どれくらいの量持っていくべきか、とか、あるのだ。
私は、もう少し生理くんと意思疎通できるようになりたいし、できれば仲良くしたいし、できれば、もうちょっとだけ、自立的でいてほしい。
「あと何日くらいで着くよー」って連絡が欲しいし、なるべくそれ通りに来てくれたら嬉しい。
で、やっぱりなるべく穏やかに来てくれるといいんだけれど。(でも、穏やかな暴走族って、あり得るのかなぁ。)
—-投稿は以上—-
この原稿へのコメントは容易ではない。それに答えられるよう、コラムを頑張りたいと思う。コラムの第一弾は、にしむら先生のお話。こちらからどうぞ。