「合理性」に取り囲まれた社会で、どう生きればいいのだろう

Staff Blog

最近、弁護士の方と打ち合わせをする機会が多く、思うことも多い。

ひとつ、たぶん彼らの職業文化は「係争になったときに、勝てるかどうか。どうやって勝つか」が第一のテーマであり「係争を避けるには、どうしたらよいか」は重要ではないか、彼らの業務ではない。こういう職業範囲の割り切りと、目標に対する合理性というのは、とっても現代的な職業意識なのだと思う。

ひょっとしたら現代政治においても、外交などという、手間と時間ばかりかかり、その成果が不明瞭な手段にリソースをかけるより、勝てる戦争を仕掛けて、勝てばいいじゃん、という考えが主流になっているのではないか、などと妄想する。たぶんそれは短慮で、現代社会には「簡単に勝てる戦争」などは、ほとんどないのだろうけど。

別にマーケティング合理性というものがあって、それを乱暴に言うと「80%の満足を期す」というものである。

例えば、商品の顧客アフターサービスで「80%の問題が80%が解決すればOKで、10%の返品と、10%の泣き寝入り」というシナリオは、ビジネス的に適切なゴールである。こういう戦略では「電話オペレータによる個別相談」より「AIによるチャットサービス」が親和性が高いので、多くの企業の採用するところとなる。何よりコスト合理性にもかなうので。

当たり前だが。こういう職業文化では『完璧な、顧客満足度を目指す』というような職業意識の居場所は見出せない。

したがって「お客様の不満を、事前の準備で回避しておく」ことが職業人の誇りである、という方にとっては、現在主流となりつつある「顧客サービス」文化の中に置かれては、、労働モティベーションはダダ下がりとなる。

二つのミスマッチに合理的な和解案があるのだろうか。

みんなが受け入れられる解を得るまでには、まだ時間がかかるのだろうし、駆逐される「古き良き文化」はたくさんあるのだろう。