表題の件を、粗々(あらあら)で考えてみた。
医療は、治療者と患者の間に「人間的な影響」を排除することが難しい。大きな病院などは、人事上の問題もあって、例えば、患者が、担当医師と依存関係に陥ることを、できるだけ排除しようとする。しかし患者は、自分の身体を「自分が尊敬する医師」に診てもらいたい。一方で病院や医師は、その関係を制限しないと、有能な医師が担当する患者の数が、増えていく一方となる、いう問題がある。
話がずれた。
言いたいことは、医師と患者の間には、何らかの人間関係の影響が、拭い難く存在する。同じ薬剤でも、A先生から処方された薬は効く気がするのに、好ましくないB先生の処方は信じがたい、といったような選別が起こる。
医師の「教育」は、医学校が担当する。大学の医学部である。
臨床の現場でこういうことが起こるなかで、医療教育では、こういう事態に対応するような能力を、身につけるチャンスというのはあるのだろうか。医師の個性や特性の理解と、それを有効に活用した、患者との有用な人間関係の取り結び方などを、身につける機会はあるのだろうか。
側聞するに、現在の学校教育が、個々の個性に関わる能力の開発に、そのたぐいの技術習熟に、効果的なものとなっているのだろうか。単なる、カリキュラムの問題なのだろうか。
突然だが、私は占いというのは、占い師自身の身上を明確にしたうえで、個々の占いを出すものだと思っていた。占星術であるなら、術者が獅子座であるなら、その占いは獅子座的なバイアスが存在する。そのバイアスを理解したうえで、客は占いを受け入れる、という関係なのだと。
どうやらそうではないらしい。占い師は、自身の占星術的な宿命を公表せずに、占いを出すらしい。これは、占い師は、占星術的な宿命から離脱した、神の視点にいるということなのだろうか。占い師は、そういう人間的な宿命から脱した何かである、という仕掛けなのだろうか。
いや、私は医療のことを考えている、
医師は患者を検査し、面接し、患者の身体について診断を下す。治療法を選択する。その際に、医師の特性や個性、人間関係を取り結ぶ際の感情的な交流といったものが、バイアスとして入らないのか。
バイアスとして入るのならば、人間関係によって医療効果が左右されてしまう。もし医療サービスが誰にでも同じレベルの効果を出すことを目的とするのならば、これはあまり好ましいことではない。バイアスが入らない、システムと交換されるべきである。
バイアスが入らないシステムが機能しているのだとするなら、医師は人間である必要性はない。AIで充分である。