昔から見えているものは、人によって微妙に違うのではないか、と疑っていた。私が美しいというものを、美しいと感じない人もいるし、その逆も多い。
私は絵を描かないけど、絵を描くと (その技術が十分にあれば) たぶん多くの人と違った風景画になるのだと思う。
そうなると、風景に変わりはないわけだから、自分の心に広がる風景は、なぜ感動を伴うほど美しく見えるのだろうか、という疑問が沸く。それは見える、という自然的な能力の違いではなく、何を見るのか、という関心の違い、(無意識にでも) 見えているものにかけているフィルタの違いなのかもしれない。そのフィルタはどのようなものなのか。
作家は何を見ているのか。その結果、なぜあのように描くのか。洋画をみても、障壁画を見ても、アニメを見ても、それがいつも気になっている。
この疑問は、例えば、箱庭療法というものの効果は何なのだろう、というふうに広がっていく。
松岡正剛は『遊』を編集しているころから知っていたが、好みはあるにしろ、現代的知性を代表する一人だと思う。この本は「日本画とは何か」について論考する。上記について興味を持つものとして、大変興味深い。本論から離れて、いろいろなことを考える。