「あの時代」は、本当に、今より良かったのだろうか

Staff Blog

40年来通っている高円寺の喫茶店で、隣り合わせた20代の方に、店の開店当時の高円寺ってどんな感じだったんですか、と尋ねられた。1978年10月のことである。

そのとき、たまたま読んでいた本に「1946年5月は、1954年8月よりも、輝いていた。晴れ渡った青空の下にいるように、自分には輝かしい未来が待ってるという、楽天的な気力に満ちていた」というような文章を読んだあとだったので、そのこともあって、どういうふうに言えばいいのだろう、と考えてしまった。

1946年5月は、そんなに希望に満ちていたのだろうか。

私が、何度も両親から聞いていた1946年は、戦中の1944年より、よっぽど食べ物にも、着る服にも困り、さすがに1945年の春以降ほどではないけど、人々は殺気立っていて、街には暴力が溢れ、生きるのがとっても辛くて、毎日泣いてばかりいた、と聞いていた。母は15歳、兵庫県尼崎のことである。

先の希望について語ったのは、左派の劇作家か、画家だったか。軍国主義的愚行から解放されて、自分の才能を思う存分発揮できるという、万能感に満ちていたからなのだろうか。GHQや日本政府が、はっきりと右傾化する前の、混乱期ということもあったのだろう。

次は、バブル期の話。1990年の初冬、私は営業で、広島の家電量販店に、挨拶に出向いた。そのとき担当者の方は「東京はバブルとかいう話ですが、その余光は、いつここまで及ぶんでしょうか。とても苦戦の日々です」と聞いた。確かに、地価も、株価もうなぎ登りであったけど、いちビジネスマンにとって、いち営業マンにとって、そんなに希望に満ちた毎日ではなかった。

前にも書いたことだけど映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は、私には嘘っぽく思えた。「昭和」は、あんなに希望に満ちた時代ではなかった、という違和感が強いのだ。もっともWikipediaによれば、あれは1958年の港区愛宕界隈の話らしく、私の知っているのは、4年後の1962年、東京の西のはずれの杉並区の話であるが。

何を言いたいのかというと、たぶん「その時代の実感」などというものは、そのときの身分や経済などといった特殊要因を除いても、その前後の時代との相対感覚でのみ量られてしまうものなのだろう、ということだ。

客観的にそれを評価しようとすると、それは歴史学の範疇になる。歴史学なら、明和2年6月の神田と、天保8年10月の神田を比較することは可能だろう。

ときどき、若い方に「昔はよかったのでしょうね」と声をかけられるが、私は、自分の知っている昔は、いつの時代でも、こりごりだと思っている。今が一番いい。まあ、これも相対評価に過ぎないのだけど。