ある種の知性を開発しようとするとき、例えば「赤い」を扱おうとして「赤い」とはどういう概念なのかを分析的に「教育する」方法があるかと思う。
それに対して「赤い」とはどういう意味なのかには関わらず、世間に流布している文章の中で、「赤い」という語は「どのような語とつながりを持って使われるか」だけを網羅的に解析させる。
すると「赤い」とは何かを、まったく理解していないにも関わらず、「赤い」という語を正確に使う「もの」を創造することができるはずである。
これは「知性」と呼んでいいのだろうか。
足三里に鍼をすると。消化器機能に対してポジティブな影響を与えることができる、その医学的な機序はわからない、というのと近しいのではないか。