「しょうがない」は、魔法の言葉

Staff Blog

今日、拝見した患者さん。

長らく統合失調症の治療をしてこられ、それがだいぶん回復してきたようにみえていたのだけど、先日主治医から言われたことが、たいへん気になって、不眠になったので、その旨を訴えたら「あー君は、統合失調症の症状はだいぶん緩解したけど、本来の境界性パーソナリティー障害の症状が出てきたんだね。ごめんなさい。不用意な言い方をしてしまった」と詫びられた、と。

そして、こうおっしゃったのだ。

「しょうがないですね、そういう性格なので。でも、だいぶん気分がよくなってきたので、仕事を探そうかな、と思っているんです。このまま年金生活が続くのか心配するより、仕事した方が気が楽じゃないかなって」

これは、すばらしいことなのではないか。

素人考えだが、「しょうがない」と言えるかどうかは、境界線の向こう側と、こちら側くらいの違いがあるのではないか。

「しょうがない」は、現状を受け入れる言葉である。現状を受け入れない限り、次に進むことができない。「次」が「先」であればハッピーである。「次」が「後」になることもある。でも現状を受け入れ、「次へ」動かないと、よくなるチャンスも失われる。

「しょうがない」は、不思議な言葉である。その前後に、ポジティブな言葉とも、ネガディブな言葉ともつながる。「しょうがない、やるか」とも言えるし、「またダメだったのか、しょうがない」とも言える。人は、生きているあいだずっと起こる、さまざまな思い通りにならないことを「しょうがない」といったん受け止めて、「さてさて」「やれやれ」と身体を動かすのではないか。

私の、個人的な印象にすぎないかもしれないが、「しょうがない」は、前に進む「弾み」を生む言葉なのだと思う。

患者さんは、長年、次々と起こる体の不調を、訴えていらっしゃったのだけど、最近は自分なりの落としどころを見つけられて、今日の「しょうがない」に至ったのである。

願わくば、その思い通りに、身体が動きますように。