先日金子先生の勉強会で、泄瀉の治療として水分 (ツボの名前) を使うというのを学んだ。
その夜、施術の後の患者さんと雑談で、小腸に近い位置だから水分なのか? 小腸と判断しているのなら何で太陽小腸経の原穴である腕骨を第一候補にしないのか? という質問を受けた。ちなみに患者さんは鍼灸師でも、医療関係者でもない。
うーん、そうだよな。そういう疑問が沸くよなーと思うのだ。
この業界のいろいろな流派と呼ばれる会で勉強していると、本読んでいると、さらに悩ましいことに「教科書」や、定評ある鍼灸学の本を読んでいると、辻褄の合わないことがあまりに多く思える。
たぶん一貫性ということが、放棄されているのだと思う。
命門とは何か、三焦とは何か。運気論を取るのか? 陰陽五行説と取穴にどういう連続性があるのか? 解釈の違う腹診の間にどういう落とし前をつけるのか? といったことである。そのコンセンサスであり、標準化である。われわれは、それを不要としてるのだ。人によっては、拷問である。
そういう問題について、自分なりの解を求めて本を読まなければならない。やりたいのは臨床であって、学究ではないのだけど。はなはだ不便に思いながら。
で『医学と儒学』である、帯には「近世日本の医家はなぜ「復古」を唱えたのか」とある。古方派四大家の実践を通じて、現代では失われてしまった近世の医療について考えたい。