陰謀論者の論理的特性は、
「何事も偶然に起こるものはない」
「すべての物事は見かけ通りではない」
「すべての事件は結び付けられている」
という確信であるらしい。
先日 Amaazon Prime でドラマの【推しの子】を見終わって、このドラマの、私にとっての収まりの悪さの正体について考えていたのだけど、それはどうも、主人公の多くが、したがって脚本が、上記の確認によって成立しているところにあるのかもしれない、と思うようになった。
ひとことでいうと、話がわからない、のである。
物語は、Wikipedia によると、
主人公の青年が死後に前世の記憶を持ったまま、推していたアイドルの子供に生まれ変わる「転生もの」。ファンタジー設定でありながら、サスペンス要素や現代社会を投影した展開、芸能界の闇へ切り込むリアルさが本作の特徴である。
というものである。
自分の母親が父が不明の双子を生む=主人公。その母が何者かに殺される。その犯人は誰か、その実行犯ではなく、真犯人は誰なのか。これがサスペンス要素である。
ファンタジーであるなら、その構成や、演者の魅力や、映像美に身を任せていれば、幸福に時間を過ごせる。しかしサスペンスとなると、犯人はAだよね、とか、この演出だとBのアリバイは否定されるよね、とか、視聴者側も「作り手側に立ったドラマ参加」が企てられる。そして、あーこんな展開は考えていなかったやーとか、あの複線の意味はこういうことだったのかーとか、作家の技量に奔走されるところに、楽しみが生じる。
【推しの子】がファンタジーなら特に不満もないのだけど「サスペンス要素や現代社会を投影した展開、芸能界の闇へ切り込むリアルさ」が売りなのならば、この要素で、視聴者を納得させてもらわないと、困ってしまう。この納得方法に、なじめなかった。
たぶん「ドラマ」として受け入れられる、ドラマ的リアリティの感覚の相違なのだと思う。映画も見に行こうと思うけど。