神経をすり減らす仕事と、身体 -1

Staff Blog

勘定系システムの、入れ替え責任者という患者さんがいらっしゃった。新旧システムの切り替えの瞬間、心臓の音が、ばこばこ聞こえるんです、とおっしゃる。うまく動かなかったら、億単位の損害が発生するのだ。私も近しい仕事をしていたので、その感覚は少しだけ想像できる。「神経が磨り減る」のだろう。

「これはね大袈裟ですけど、私の人生をかけたプロジェクトなんですよ」と照れたような笑いを浮かべて、お仕事についてお話される。何かの大型建築物の構造設計者の患者さんだった。

「人生をかけた」という言葉を聞いて、むかし編集者をしていた時代のことを思い出した。担当していた新人作家から「俺は、この作品に命を懸けている。これが書ければ死んでもいい。だから余計なことで時間を取られたくないんだ」と言われたことがあった。高円寺の、陽の射さない四畳半のアパートの一室、1984年。

私は意気に感じ、会社と交渉して、前渡し原稿料として50万円を彼に渡した。で、1週間後、彼のアパートに行くと、部屋はもぬけの殻。隣家に尋ねると、夜半に物音がしたが、そのあと姿をみない、という。会社にはひどく怒られたけど、なるほど人というのは複雑なものなのだな、と反省した。

彼は、それから10年ほどのあいだ生を得て、初志の物とは違う短編をいくつか雑誌に掲載し、肝臓を患って亡くなった。亡くなる寸前までパートナーの方に「俺には書かなければならない作品があるのだ」と言い続けていたらしい。

人は、何のために生きるのだろうか、と思う。

「健康で、長生きが一番の幸せ」に、拳を挙げる気はまったくない。でも、そうではない人生があり、それを選べない人生もあるのだと思う。

医者の無養生ともいう。