心の痛みや苦しみを和らげるということ

エッセー

親子関係の齟齬や、職場での過剰な忍耐などが引き起こす辛さは、それを「原因」として発症する「病症」があったとしても、それを解決するのは「医療」なのか、難しい問題だと思います。

「病症」の緩解は、「原因」へのアプローチを欠いて「解決」が可能なのでしょうか。「原因」に解決を与える、折り合いをつける、ということは、当事者、患者さんにしかできないこと、なのではないでしょうか。

では、われわれ医療関係者は、どのような手助けが、できるのでしょうか、

私は、医師ではなく、鍼灸師であるからなのか、そのような、心の痛みが引き起こす激しい身体表現には、それに拮抗する身体への、強い衝撃が必要なのではないか、と考えています。

写真の患者さんへの鍼の数は、私どもの院では、決して多いものではありません。鍼の太さは一般的な物よりかなり太く、長さは135mmのものもよく使います。日本の一般的な治療院と比べると、身体への刺激は、圧倒的に強い方だと思います。

もちろん、刺す鍼の数や、位置は、合理性を持って判断しています。むやみに量を増やしているのではなく、これでも抑制的に判断しての数と、深さだと思っています。

よく「痛いのか」と尋ねられますが、何ともお答えし辛いのです。無責任に響くかもしれませんが、痛いのかどうかは、患者さん次第だから。「痛い」という方もいるし「さほどでもない」という方もいらっしゃいます。

患者さんがどうお感じになるか、どんな意識を持たれるかが、些事とは思いませんが、「意識」ではなく「身体」がどう感じるかが、問題なのです。意識ではなく「無意識」の領域の話であり、常識的に考えれば、これだけ刺されれば、身体はそれなりの衝撃を受けるに違いありません。

私は「激しく刺す優しさ」というものがあると、考えています。身体状態が、感情を原因とする極度の疲労を得ている場合は、こういう処置も必要だと考えています。

「激しく刺す優しさ」は「愛する人に強く抱きしめられる」というのと同じ、身体への強い衝撃だと、解釈しているのです。各位に、異論はおありだと思うけれど。