私は、スピ系なのかもしれない

エッセー
私のやっていることは、「医学」ではない気がする。病名の羅列と、その治療法の本を読んでいて、そう思ったのだ。
「下肢外側部の疼痛の原因は、坐骨神経の絞扼にある」なんてことは、ないのではないか。そんなシンプルな「病因」は存在しないのではないか。
そういう方は、大腿神経も問題を抱えていて。責任部位はL4神経根であったり、梨状筋間隙あったり、脊柱管は狭窄していて、ヘルニアがあって、大腿筋膜張筋の起始部の血行は不良であり、過敏性神経症であり、息子さんの不登校に頭を痛めている。痛みの原因は、これらの組み合わせであったり、これらのすべてであったりする。
だから私は「山田さんは坐骨神経痛の患者さん」とか「畑田さんは耳鳴りの患者さん」とかという、病名での把握をしてなくて「鈴木さんの病症」とか「伊藤さんの今置かれている立場」とか、人名に付随する属性としての病症把握になっている。
こういうやり方は、まあ、理論性とか、再現可能性とか、そういう科学性に叶っていないのだと思う。科学に反するものを「スピリチュアル」と整理するなら、私のスタンスはスピ系である。
東洋医学ではどうなのか。
私ができることは、その患者さんの「今の」状態を弁証論治することである。「今、肺陰虚の患者さん」であって「肺陰虚の患者さん」ではない。もちろん、前回拝見したときにも、肺陰虚であった患者さんである場合も多い。
ひょっとしたら、私が拝見している患者さんを、師匠は「肺気虚」として治療されるかもしれない。でも、私には肺陰虚なので、肺陰虚の施術を行う。私にとっては、肺陰虚の患者さんなのである。このスタンスは、外からみたら……ではないのか。