自分が、現在あるいは将来、勝ち組なのか、負け組なのか、と考えてしまうことが、苦しみの源泉である、という人がいる。それに気づかない人は、もっといる。
世界の本質は、勝ち組・負け組みのような、単純な二分法で把握できるようなものではなく、たいへん複雑な構造体であり、そこに、単純な物差しや、軽率な知性を持ち込んだとしても、対象物との尺度が合わず、面積も、体積も測ることができない。
それゆえに、勝ち組であるか、負け組であるかを、決める必要があるのだとすれば、それは、当事者である自分であって、他者が決めるものではない、ということを確信していただく、というのも「医療」なのではないか。
まあ、それは教育の仕事ともいえるし、親や社会による躾であるだろうし、規範であるのかもしれない。
そして、現代では、そのどれからも得られないことが、残念な点なのかもしれない。