私は東洋医学の末端を占めるものであるから「風土と人体」ということに、大変興味を持つ。なのだけど、例えば、弥生時代の人間は、本当に米を主食にしていたのか、といった疑問が沸くし、華北は麦文化、華中・華南は米文化。これが列島に到来し、といった粗雑な歴史観を、そのまま受け入れるには、強く抵抗を感じる。
そのような単純化され、丸められた歴史観は、決定的な「歪み」を含んでいるのではないか、と疑っている。「歴史ってそうだったんだー、楽しいね」で、いいのならそれでもOKだけど、私たちは、例えば、風土論を、具体的な患者さんの臨床に、結実させなければならない。日本人は歴史的に米を炊いて主食にしているから、梅雨の季節は脾が虚すんだよ、では困るのである。
であるならば、きちんとした歴史的事実をまず押さえておきたい。歴史的事実は、残念ながら、断片的であり、それを利用するためには、解釈が必要で、解釈には歪みは不可避である。だから、最後の歪みは、仕方がない。
でも思い込みの歴史観から始まる風土論は、その開始の時点で歪んでいる。その上に立てられる理論は、恣意性に流れる。これをそのまま受け入れるのは、さすがに21世紀、避けたいものだと思う。
この本の著者 寺沢薫は、纏向遺跡で名を挙げた。自説を立てるに容赦ない。そこが刺激的である。玄海灘系と、有明海系と、違うルートで初期弥生文化が成立したのではないか、というのはなるほどなーと思わせた。
あの時代、両地域の距離は、現代で例えれば、北京と東京並みの距離があるともいえるし、一方で生活者に流れる時間性を勘案すれば、荻窪と中野の距離であるともいえる。そのどちらにバランスを取るのかが、学者のセンスである。