幕末の人々は長らく討幕派・維新政府派を主体とする「革命史」の中での立場から、語られることが多かったから、守旧派であったり、反体制的立場の人間の扱いが、類型的で、ぞんざいになった恨みがある。
今から思うに「尊王の志士」なる人々のほとんどは「ヤンキー」で、坂本龍馬は『One Piece』のルフィである。その粗暴な人々は、単純な理想の旗を揚げ、その粗暴さと単純さゆえに、粗暴と単純さが愛される時代には、共感を得たのかもしれない。でも、現代では違う視点から、歴史が見えてしまう。
私の仕事との関連でいえば、漢医の人々である。
彼らは、西洋医学普及を妨げるべく、新しい医療技術者に対して、政治圧力を加える利己的な人間たち、という図式が一般的だった。それに対して「西洋医」であり「帝国軍人」であった森鴎外が、立場は異にするが、同一文化人の後輩としてのシンパシーから書き上げた「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北條霞亭」は、失われた人間文化の美しさ、という点でとっても胸を打つ。あまりに長いのが難であるけど。
ところで、幕末への向かう時代、皇室は何をしていたのか?
世界情勢に蒙昧で、狂信的なキャラクターとして、孝明天皇が登場するくらいで、彼に至る皇族は、短歌と密室政治とに明け暮れてきた程度のイメージである。
この本は、孝明の祖父、光格がいかにして「幕末」を用意したのか、についての話を中心とした皇室史論である。不勉強であるので、現代の歴史学がこういう領域で論じられていることを知らず、新鮮に読めた。
西洋列強の東洋への進出と、その政治的流動化、というのは、疫病の流行から、物価の高騰まで、当時の一般庶民を含む日本人に、あまねく影響を与え、複雑な力学の元、歴史的帰結に向かう。
現代に続く「天皇制」の始原はここにあり、ここで成立した皇族と政治の関連性が、女性天皇を含む、制度としての天皇制を考える基礎となるべきなのだと思う。