子どものころから、化学繊維が苦手で、身についけるものはできたら綿100%を希望する。もちろん、ウールでも、絹でも、麻でも、化学繊維が入っていなければ、幸せである。ただそれらの値段が、私を幸せから遠ざける。
髪が短いので、秋はフード付きの中着が便利である。帽子をかぶってもいいのだけど、すぐに置き忘れてしまう。気温の急激な変化にもへっちゃらである。
で、40年来、フード付きパーカーを着ることになる。ところが10年ほど着ると、袖が切れ、穴が開き、形はだらだらになって、「みっともない」と非難を受けるようになる。
最近では、年寄りがよれた服を着ているのは見苦しいという声もかかる。えー、それは不自由だ。
で、しかたなく服屋に行くと、昔綿100%だったのが、いつの間にか90%になり、65%になる。がまんできないのか、といわれると、肌着ではないので、我慢はできるけど、じわーっとした不快感は我慢し続けなければならない。できたら、避けたい。
(不快感を与える人工素材の、生活への影響については、別記したい)
綿花は栽培にコストがかかり、加工に手間がかかる。自然破壊の問題も、低賃金労働の問題もあるだろう。化学繊維は、安く作れ、匂いもつかず、軽く暖かく、速乾性もある。形も崩れにくい。いいことばかりである。
なので、綿100%は「お手頃価格」の市場から、退場していく。
というわけで、古い服を捨てられない。持っていてどうなるわけでもないのだけど、奇跡が起きて、着れるようにならないだろうか、と、気に入らない新しい服を捨てて、そこに着ない古い服を入れている。