『霊的最前線に立て!』を読んだ

Staff Blog

この本は、2000年代になって、自己啓発とスピリチュアルが絡み合って進展し「強い思考を持てば、必ず実現する」みたいな、商業主義的で、単純なソフト・オカルトに至った歴史的経緯について、検討している。

陰謀論者とニューエイジには共通点があり、それは「何事も偶然に起こるものはない」「すべての物事は見かけ通りではない」「すべての事件は結び付けられている」という命題である、とか。

私は、パソコンソフトの会社の部長を20年弱務めたあと、いくらかの期間を経て、鍼灸師の仕事をしている。

会社の部長職を務めるには、当たり前にビジネス感覚を問われる。ビジネス感覚とは、合理性であり、合理性とは発生要件の確率比較である。つまり「非合理」の排除から始まる。

一方で鍼灸師の治療理論は、紀元前後に成立した『素問・霊枢』という書物に記載されている、経絡・経穴の存在を前提とする。

経絡・経穴は、合理的に実存するのか。ここで「はい」とすぐに胸を張れるのはオカルトである。「うーん」と口ごもるのが、理性である。

私は神秘主義者ではないから、医療の合理性 (実情はそうではないのだけど) と、東洋医学のオカルト性の間に立ち位置を探すことになる。鍼灸師を名のる方は、ここに葛藤なく、いずれかの位置に立てるのならそれでいいのだけど、そうではないのなら、オカルトとの距離を問われることになる。

もうひとつ、私事を語るが、大学時代に、ライターのアルバイトで食いつないでいたことがあった。仕事は、正体不明の「先輩」が持ってくるテーマについて、原稿を書くというもので、そのテーマは雑多であり、エロチックなものから、UFO、心霊現象などのオカルトものまであって、私はお金が欲しかったので、どんなテーマでも手を挙げて、できるだけ依頼に応える原稿を納品していた。

今考えれば、池袋の西口に屯していた正体不明の「先輩」は、左翼運動に入れあげて、大手の会社に就職が叶わなかったアンダーグラウンドな人たちが、アンダーグラウンドな仕事で糊口を凌いでいたのだった。私は、そのおこぼれにあずかっていたわけである

そのなかで一番支払いがよかったのが『ムー』を始めとするオカルト系雑誌だった。エロ雑誌のいい加減な記事仕事と同じ手間で、倍以上の収入があった。

さらに奇縁といえるのか、最初についた勤めた出版社の、最初の仕事が『ノストラダムスの大予言』の著者五島勉氏の「担当」だった。

というわけで、個人的にオカルトといわれるものについての、関心というものがあるのだけど、それはUFOや霊現象、今でいうなら陰謀論といった、その内容への興味ではなく、それを信じる、あるいは好む人の、そのメンタリティや、パーソナリティに関心が向くのだった。