鍼灸が「治療行為」になるために

身体へのヒント

不思議がある。

例えば、「足ツボ」の効能の位置は、一般的な鍼灸のものとは違っているのは、なぜなのか。

あるいはピアス。
耳垂の中央に刺されたピアスは、耳ツボの医療効果を発揮するのか。

もしも身体が、これらの刺激によって、病症を改善する効果を発揮するのであるなら、何も考えずに、ピアスの穴を開けたら視力が改善した、とか、足裏の胃のツボを押しながら足三里に灸をしたら、効果が倍増したとか、そういうことにならないのか。

たぶん、ならないのだ。

それは、なぜか。以下、私見を申し述べたい。
     
鍼灸が「治療行為」として成立するためには、大きな前提がある。

それは、今から行う身体への刺激行為は、「患者さんの病症を改善する、という目的のために行うのだ」という合意が、施術者と患者の間で交わされていること、だと思う。

この合意によって、患者さんの身体に侵害刺激や熱刺激として入力される情報に、解釈が発生する。

タトゥーや、ピアスは、この合意が存在しない。ゆえに身体にとっては、単なる (ときには不快な) 刺激にすぎない。この刺激によって、身体の状態が影響を受けることはない。解釈が発生しないから。

つまり、刺激の位置や種類が、問題ではないのだ。
これをプラシーボ (に類すること) というのなら、そうなのだろう。だけれど、臨床現場では、類似の経験を、多くの方が経験されているのではないのだろうか。
だからその意味では、鍼灸は、(皮肉なことに) リストカットに似ているのかもしれない。