2023/10/20 てんびん座の誤解をときたい

占い

おこがましくも、君について語り始めることを僕に許してほしい。

君がどんな顔をしているか僕は知ろうとしない。僕は君を値踏みしない。君は川の飛び石を辿る少年で、僕はそのあとをついていく猫だ。僕は君の影を追い、君の背中を見上げているに過ぎない。

巷の多くの占いは、「君がどんな風に見えているか」について言及しているが、どれも君の本質ではないような気がする。

君が、まさにその名の通り、秤という意味での天秤だとしたら、君の本質は、その左右の皿ではなく、それを支える中柱だ。僕たちは、いつも、君の左右の皿に招かれ、もてなしを受けている気がする。君が左右の皿に置いてくれた果実をむしゃむしゃと食べながら、「で、本当のあなたはなんなのさ」とか「八方美人で器用だけど、感情がみえないよな」とか、勝手なことを言ったりする。

人々は、君が本音を隠していたり、感情を抑圧していたりするんじゃないかと勘ぐる。でも、クールであることが君の性質だし、それは、決して冷血だとか感情や愛情が薄いということではない。君だって「頑張ったね」と言われれば嬉しいし、陰口を言われれば悲しい。僕たちと同じ。


遠くから見ると、天秤は、左右のバランスをとって、だが決して倒れることなく、常に中立に、余裕の表情で、たたずんでいるように見える。

しかしながら、その実態は、左右の重みの経過に、絶えず調整を強いられる2本の腕と、その支柱をどうにかこちら側に倒そうと試みる左右の皿と、それらの力に負けまいと、一人踏ん張る1本の支柱である。


君を慕って、君のことが好きで、君に近づいてくる人たちの多くは、君の皿に腰掛けて、「こっちを向いて」と君を呼ぶ。君は左右の皿に“心”を“配る”。いろんな人達が、それを「ありがとー!」と言って(ときには何も言わず)かすめ取っていく。

もし僕に、少しだけ占い“師”みたいな言い方をすることを許してくれるなら、『そんなに簡単に自分の身を削って他人に供与してはいけない。』君が自らを削りだしたその一片を、他人が軽々しく持っていく。

君はそれをよくわかっている。僕が勝手に心配しているのは、そんなに自分を削って供与してしまうと、どんどん支柱は細くなって、いつか倒れてしまうんじゃないかということだ。

秤の使用者としてではなく、君の傍らの猫として。君が倒れそうならば、何の下心もなく、君を支えたいと思う。足元にすり寄ってニャーと鳴いて君を温めたい、と思う。そして、そう思うのは決して僕だけではない。

君は、晴れた日の午後に、鼻歌を歌いながら、石を跳びながら、川を渡っていく。「誰にも僕は捕まえられない」って感じで。高潔で厳密であろうとするチャレンジャー。逆光でその顔は見えない。僕は、その傍で尻尾を振りながら君を見ている猫だ。