明治初年に、日本人はあるいは東京人は、どのような精神状態で過ごしていたのか、に興味があるからである。これは、なぜ現代の日本人がコロナや外国人を恐れ、将来は絶望であるという言説を弄することを好むのか、という疑問に対する答えを求めているからである。
松井今朝子『円朝の女』に三遊亭がこう言ったという話がある。創作かもしれないが。
「幽霊っていう奴は、悪いことをやった人間にしか見えないもんなんでさ」
この言葉から、いろいろな思いや物語が走り出す。革命的な世界観の提示であるから。
明治初年に「近代科学」が断片的に入ってきたとき、三遊亭は、今でいう鬱は「精神の病」であって、何かの祟りであるとか、悪神が取りついた、とかいったことではない、という考えを理解した。理解であって、それを確信したとか、そういうことではない。三遊亭は落語家であるから、その人体感覚を話芸に取り入れた。名作『真景累ヶ淵』の「真景」は「神経」の言いである。
この悪人しか出てこない猟奇的な連作物語は、登場人物のほとんどが不幸に身を落としていく。この辺り幕末期から続く、鶴屋南北と同じような、因果律も深く踏襲している。三遊亭の「新時代の意識」は、因果応報を否定するわけではなく、むしろ強化する方に働いているのではないか。
それはそれ、このような相反する精神が相克する時代を背景に、寄席で、この語りを熱望した東京市民は、どのような意識だったのか、いろいろ考えを巡らせる。
蛇足だが、私は、医療のことを考えているつもりである。