2025/06/27 かに座とシーソーを漕ぐ

占い

僕と君は、反対側にいる。

君が川だとしたら、僕は橋の上である。

君がブランコで前後に揺れているとしたら、僕はシーソーに乗り、上下に揺れている。
      

君は、動き続けており、自分と一緒についてきてくれないものを、全て置いていくしかない。
そのためか、寂しそうで切なそうでたまに怒っていて「一緒に来て」と僕を呼ぶ。

そう、川はなんでも持っていく。川には「意思」がある。だから、都市は川を制圧した。流れを変えて、周りをコンクリートで埋めた。道路の下に潜らせて見えなくした。音も、聞こえなくしてしまった。

君はそういった仕打ちに慣れているかもしれない。「いつものことだ」と、硬い甲羅をさらに強張らせるかもしれない。
      

僕が君に提案したいのは、なにかと共振することではなく、相手と向かい合って、ギッタンバッコンと、バランスを取り合う、つり合いの遊びである。
      

僕は君とブランコに乗ることはできない。
申し訳ないけれど。
ただ、一緒にシーソーに乗ることは出来る。
君はあちら側で、僕はこちら側で。
それはきっと「平和」の一番初めの形である。
      

この季節は、君のためにある。
短い夜は、君が想いを深めすぎないように。
早く朝が明けるのは、君が川底に沈んでしまわないように。
雨が降るのは、空が一緒に泣いてあげるため。
      

遅い夕方、誰もいない公園で、僕は君と、向かいあって、シーソーを漕ぐ。

反対側に僕がいる。
君が重いときは、僕はちょっと遠くに座る。
君が軽いときは、僕が強く地面を蹴る。

一緒に揺られなくても、そんな「仲良し」もいいと思う。