やることがなくなってしまった人の孤独

Staff Blog

加藤和彦については『帰ってきたヨッパライ』を福岡岩田屋の書店コーナーの館内ラジオで聴いた時から、中学校の音楽の授業で『あの素晴らしい愛をもう一度』を先生のアコーデオン伴奏で合唱させられた時から、サディスティック・ミカ・バンドのあのカラフルな『サイクリング・ブギ』をレコード屋で見た時から、そして何よりも吉田拓郎『結婚しようよ』のアレンジから、ああすごい人なのだろうな、と思ってきたのだけど。晩年の、覇気の感じられない活動をみていたら、勝手ながら、痛々しく思い、関心の外になってしまった。

なので、最近公開された映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』もあまり見る気がしなかった。彼の天才性について、語られるのだろうけど、その天才性は、現役時代に充分堪能させてもらったという思いがあり、それを今さら思い出ばなしに聞きたくはないな、と思ったからである。

島崎今日子『安井かずみがいた時代』を読んだ。この本では、加藤和彦は、安井かずみという得難い才能をスポイルしてしまった、身勝手な男という目線で扱われている。そうなのだろう。私にも、やりたいことをやってしまった加藤和彦が、それでも生きていくために、利用してしまった女性、という読み方をしてしまった。

二人の関係が、本当はポジティブであったのか、幸福だったのかは、もうこの世にいないお二人が、別の世界で、お二人で話し合う話柄であると思うのだけど、やりたいことがなくなってしまった人の余生、というものは、残酷なものなのだろうな、と思った。