ちょっと事情があって、1970年前後の大学生活について調べている。
私は1977年の入学なのだけど、キャンパスには、わずかながら全共闘世代の残滓があり、それが新興宗教の波へとすり替わっていくのをみていた。オルグされる友人を守るために身を挺するクラスメイトがいて、社会正義実現の使命感に身もだえする上級生がいて、何よりそういう人間を入れておく「箱」としての大学の意義を疑っていなかったのだ。
日大のアメフト部の一連の騒動から推察するに、今の大学生は、大学というシステムに対して、希望や信頼や誠実といったものは持ち合わせていないようにみえる。そして、大学運営者が、アカデミズム探求を止めるとなると、もはやその存在意義は、どこにあるのだろうか。