九月になった。
子どもたちは「新学期」とか、「始業式」とかで、学校が短くなったりするのはいいなー。進級しただけでお祝いされるし。皆勤しただけで賞がもらえるし。僕たちは、台風が無事に去ろうが、九月になろうが、誰にも「おめでとう」とは言ってもらえない。
思うに、僕たちに必要なのは、「ご褒美」ではなく「お祝い」なんじゃないだろうか。
太陽は、滞りなく、遅延せず、逆行せず、一日一度ずつ、進んでいく。
何億年もそうしてきた太陽くんは、それでいいのかもしれないけれどさ、
僕たちは、やっぱりどこかで、「おめでとう」が必要なのだ。
新年みたいな、もはや社会的な区切りになってしまったものではなく、
僕たちによる、僕たちのためのお祝い。
九月になった、それだけでお祝いしたってよいではないか。
暦が進むのは、よいことだ。
なぜなら、その分だけ、僕たちが生き延びたということだから。
まぁ、やぎ座の人たちは、「ご褒美もお祝いもいらないから、その分報酬がほしいにゃ」とか、言いそうだけどにゃー。
九月おめでとう、だにゃー。