今日拝見したのは、商店街の洋品店の奥様。きちんとした身なりで、長く続く商店を、きちんと切り盛りしている方、という感じである。私より、10歳ほど上、東京のお生まれ、お育ちである。
主訴は、下肢外側部・鼠径部の神経痛である。坐骨神経痛の治療を行う。しかし、訴えられなかったが、頸部も肩部も大変固く、これはお辛いでしょう、というと、これくらいのことで弱音を吐いてはいけないのですが、とおっしゃる。全身が痛むのだろう。
商店街は、斜陽である。
いろいろと活性化のプランが出されるが、それは商店街の存続を期すものであって、昔ながらの洋装店が、その中に生き残る術を見出すのは、たいへん難しい。時流に合わせるべく、商品を選別する一方で、従来の顧客の需要を無下に捨て去るわけにはいかない。「お得意様を大切に」それが、従来の商店街の存続理由である。でも、お得意様は、次々と寿命を迎え、一代限りの核家族世帯には、代替わりは期待できない。
企業は、資本を集め、マーケティング戦略を立て、それが必要なら従来の路線を捨て去って、時流に乗ることを目指す。それができることが、企業の存続条件である。個人商店は、そうはいかない。『プロフェッショナル』に出てくるような、逆境を打破するような才気に恵まれているわけではない。律儀に働くことを、自分に課して、人生を送ってきた人である。
時代は変わってしまい、自分も老い、顧客も老いていく。新規事業の目途も立たない。やがて健康を害し、辛うじて残っていた気力が霧消すると、シャッターを下ろして、静かに店を閉じる。同じ時期に発展した商店街は、同じ世代で維持されている。その時期が来ると、シャッターは、さざ波のように、次々と、静かに、降ろされていく。
まだ、辛うじて身体が動く、というのも、幸福なのかどうなのか。
身体が動くから、店を閉められない、というのもあるのではないか。いっそ、何かが起こったほうが、楽になれるのではないか。そんな、葛藤がみえる。