なぜ治療院に、占いがあるのか

僕は、猫である。

僕の飼い主は、鍼灸師だ。それは、道具を使って、人を元気にする仕事らしい。

元気にするのが仕事なので、治療院に来る人は、元気ではない、どこか体の調子がよくない人だ。でも、施術が終わると、少し顔色がよくなったり、少し声色が晴れやかになったりして、帰っていく。

僕はその様子を見聞きするだけだけれど、それは、多分いいことだ。いいことは、たくさんあると、嬉しい。

 

僕は猫だから、使命感もなければ向上心もない。

人生の意味や生まれた意味に、深く思いを巡らすこともない。だけれど、心は持っている。

それは、例えば、いいことがあると、嬉しくなって、もっとあるといいな、と思うこと、嫌なことがあると、悲しくなったり怒ったりして、どうしてこんなことがあるんだろう、なくなればいいのに、と思うこと、けがをしたら、辛くて、早く治るといいな、と思うこと、だと思う。


あるとき、僕は、ツジモトにきいてみた。

『いいことがあるといいな、と思ったり、嫌なことがなくなればいいのに、とか、早く治ったらいいな、と思ったりする気持ちは、なんだろう。どうしたらいいんだろう。』

ツジモトは、こう言った。

『人間は、いいことがあって、もっとあるといいな、という気持ちは「祝い」という形に、起きてしまったことへの悲しい気持ちや怒りは「供養」という形に、早く治ったらいいな、を「祈り」という形にするんだよ。』

続けて、こう言った。

『僕は鍼灸をしながら、「よくなりますように」っていつもお祈りをしているんだ。それを「治療」って言うんだよ。』


星をみるのは、特別な技術じゃない。猫はみんな、星の意味を知っている。

投資家の猫だったら、それを株価の値動きを予測するために使うかもしれないし、美容師の猫だったら、「今季、各星座に一番似合う髪型は何か」とか考えるかもしれない。

だが、僕は、投資家でも美容師でもなく、偶然にも鍼灸師の家に貰われてきた。

星をみても、気になるのは、やっぱり株価とか髪型とかではなくて、あまり元気じゃない体や心のことである。

だから、僕は、星をみる技術を、「治療」の手段として、使うことにする。そして、星をみる技術を使って「治療」をする行為を、僕は「占い」と呼ぶことにする。

ツジモトが「星をみるねこ:こむぎの占い」で言っていることを、僕なりに言うのであれば、そういうことである。

 

ツジモトは、こうも言っていた。

『祝いも供養も、最終的には祈りに辿り着くんだよ。「もっといいことがありますように」、「悲しみや怒りは、然るべきところへ向かって、穏やかになりますように」「できるだけ、悲しい出来事が起こりませんように。お願いします」と。』


僕たちは、行き場のなかった、あらゆるものの通り道を、つくろうとしている。ツジモトが鍼でそれをやるのであれば、僕は言葉で、それをやろうと思う。

それが、僕たちの祈りの形だと、僕は思う。

凝り固まった肩に、鍼灸師が鍼を刺すように、固まった心に、この占いが届けばいいと思う。

 

占いについて、考えていること

知らない人に、手紙は書けない
ありがたいことに、何人かの人が、僕の占いを読んでくれたらしい。嬉しいことだ。 このページに来てくれる人も、僕の飼い主がやっている鍼灸院に来てくれる人も、僕は勝手に、仲間だと思っている。仲間がいるのは、...