君は、星座ではない

占い

いわゆる、「私は〇〇座」と言うときの星座は、「太陽が〇〇座にある時に生まれた人」という意味であって、それは、その星座そのものとは、別物である。

それを同一視するのは、患者と疾病を混同するくらい、雑である。粗すぎる。

パーキンソン病の患者さんはパーキンソン病そのものではないし、認知症の患者さんは認知症そのものではなく、アトピーの患者さんはアトピーそのものではない。

現代では、全ての人がわきまえるべき、当たり前の常識である。

占いに偏見がつきまとうのは、占いをする人々の知性の問題という気がする。
もしくは、当事者たちの自覚の問題である。
占いの館は病院ではなく、占い師は医師ではない。

     

僕にとっては、星座とは、季節の名前であり、場所の名前であり、ある特定の傾向と指向性と特徴をもった「なにかの磁場」のことである。

ただ、その星座に「いる」とき、その星座から見える景色があり、感触があり、世界の実感があるはずである。

なにかスピリチュアルな、特別なことを言っているのではない。
パーキンソン病の患者さんから見える世界があり、認知症の患者さんの実感があり、アトピーの患者さんの感触がある、ということである。

それに興味を持つことができるか、できないか、が何かの境目である。

もちろん、自分が見ているものは、自分の「場所」から見えるものに過ぎないことを、重々承知したうえで。