占いが「当たる」とはどういうことか

占い

人の心を、さまざまな複雑な感情や思い出や思惑が入っている、引き出しのようなものと仮定する。

現代では、人はそれぞれ独立し尊重されるべき個人であると考えられているから、日常生活においては、その引き出しを勝手に開けることは、ほとんどの場合、許されない。

唐突に極端な例を挙げて申し訳ないが、例えば、職場の同僚に「あなたは私に抱かれたがっていますよね」と言えば、セクハラである。(もちろんこの間柄に限定するものではない。)

占い師が何をしているかと言うと、引き出しを開けて「あなたの中にあるのはこれですよね?」と言って見せることである。それが、その通りであれば、その占いを「当たる」と言う。

引き出しを開けてほしい人はたくさんいて、開けたい人もたくさんいる。それについて、僕は何も言うことがない。

問題の一つは、何のためにそれが行われるのかである。

「どうしてわかったんですか!?すごい!」と言われたいのが本音なら、マジシャンをやればいい。自分を見てほしいのがその本質なら、アイドルをすればいい。

人生になにかの欠損感や枯渇感があり、それを補いながら生きていくために、そういう言葉や視線が必要な人がいるのだろう。それなら、エンターテイメントのほうがましである。安全だからである。安全であるとは、他人の人生を狂わす危険がまだ少ない、という意味である。

もう一つの問題は、どんな人のために、それが行われるのかである。

例えば、占いについて言えば、占い師とクライアントが対面し占星術や手相などのサービスを受ける、個人鑑定と呼ばれる占いの相場は、30分5,500円である。面白半分に使ってみるには、(少なくとも世間一般的には)、少し大きい金額である。

それだけのお金を払ってまで「私の心を誰かに言い当ててほしい」と望むのであれば、その人はすこし、心が弱っている状態だと思う。弱っていなかったら、占いの館なんかに足を運ばない。元気な人が病院に行かないのと、同じである。

弱っている人に必要なのは、何かしらのケアであり、環境や人生の選択などの根本的な改善だ。明白である。

もし、その明白な事実を見て見ぬふりをして、弱っている引き出しを開けて「あなたの中にあるのはこれですよね?わかるよ」と言って見せて、人の心を掴み、お金をいただくのであれば、それは本質的にはホストと変わらない。その自覚はあるんだろうか。

ホストクラブで働く人を貶める意図は全くない。ただ、なにかとても「高尚で気高い」仕事をしているという自負の人も多いようである。

自分がなにをしているのかの自覚と、人の人生を左右する覚悟をもって、それでもやられているのであれば、僕にはなにも言うことはない。