2025/07/09 お月さまとのお付き合い

占い

ふと空を見ると、黄色い月がこってりと浮かんでいて、まだ小さいけれど、そろそろ、そういう季節だという気がした。

秋にはまだ程遠いのだけれど、少し遠くから、種まきをしてみることにする。
    
    
世間で言われるほど、月は優しくもなければ、美しくもない。心を慰めてくれるものでもない。ときに凶暴で、身勝手で、心を逆なでする。僕の持論である。

特に、秋の月は強烈である。手が付けられない。

「お月見」という慣習は、秋の月を一人で直視しないためのものだったんじゃないかという気がする。

一人でじっと見上げるには、強すぎる。

月を横目で監視しつつ、月を崇め奉り、お供え物をして、月が祟らないようにするためのお祭り。みんなが月で狂ってしまわないように。
    
    
だが、月はそれだけではない。それが、月の一筋縄ではいかないところだ。

確かに、優しく、温かく、見守ってくれているような気がするときもある。それも月の一面である。

『どの月が本当なんだろう。』
そう考え出して、月にじっと目を凝らすと、これが「ルナティック」のはじまりである。    
    
月はほんとに難しい。

凶暴性も優しさも、身勝手さも温かさも、それもこれも月である。整合性も因果関係もない。どれもこれも月である。月とは、そういうものである。上弦の月から下弦の月まで。新月から満月まで。
    
    
きっと、月には月の気持ちがあるんだろう。荒れている気持ちのときもあれば、うれしくて、はしゃいでるときもあるんだろう。

気持ちを持て余して、僕たちにお話を聞いてほしいのかもしれない。

だが、高揚している月のために出来ることは、あまりない。月の気持ちと共鳴するには、僕たちはあまりにもちっぽけだ。そういうときの月とお話ししようとすると、月の声を聞くばかりになってしまうんだ。

月は、月である。
僕らは、僕らである。

たまに、お互いの調子がいい時に、心が通じ合う、くらいのお付き合いが、ちょうどいいのだ。

お月さまも、そう思ってくれてるといいけれど。