女性や若い頃であれば経験したことがあることかもしれないけれど。
電車に乗っているときに、自分のことをジロジロ見てくるオジサンがいる。
若い頃であれば、なにか変な格好をしていたのか、顔になにか付いていたのか、心配になったかもしれない。
でも、若い頃を脱すると、そんな心配をする必要はないとわかる。
それは、彼らの中での、何かである。
彼らの中の、問題である。
君はそれを、不用意にぶつけられたに過ぎない。
似たような話で、ポニーテールは、扇情的だから、校則で禁止すべきだという議論がある。
この手の問題の解決策として、最も悪手である。
自分の問題と相手の問題を、混同している。
世の中には、猫のことが嫌いな人も多い。
舐めたような生き様が気に食わないらしい。
だが、そう言われたとて、僕は僕を相手の希望に沿って変える事ができない。
目つきが態度がと言われても、
「そうですか。それは大変だなぁ。」
と思うしかない。
思うに、試験の心配をする人達は、本来背負わなくていいことを肩代わりし過ぎている。
やりたいことがあり、そのためにはある資格や免許や学校に行く必要がある。
試験は、それを邪魔をしている。
僕はそこを通りたい。だから必要なものを用意して提出する。
食事をするために料理をするのと同じように。
それだけなのである。
それを受からせるかどうか、どんな評価をするのか、処遇をどうするのか、全部相手方が悩んで考えて決めることだ。
君が代わりに悩んでやる必要はない。

