2025/08/13 夏休みの宿題なんか、やってられない

占い

先生とは、問題を出す人のことだろうか。
それとも、僕たちが困った時に助けてくれる人のことだろうか。

どのタイプの「先生」なのか、で、だいぶ、夏休みの宿題は、変わるのだろうなー。

僕は断然、後者のタイプの先生が好きだ。絶対にそうだ。なぜなら、僕たちの人生は、すでに宿題でいっぱいだからだ。その前提に一緒に立ってくれる人じゃないと、まずお話にならない。

大体の場合、先生の出す問題はくだらない。僕たちの人生を馬鹿にしてるとすら思う。「問いを出さないと、君たちは頭を使うことなんてないでしょう?」という、上から目線の煽りを感じる。そんな風に言われないと何も考えることがなかったくらい、それはそれは挫折も困難も少ない幸運な人生で、世の中の理不尽や不条理に何も感じない、鈍感な感受性をお持ちなんだろうと思う。

僕たちの人生も世の中も、すでに十分に困難で、課題が山積みである。先生の出す宿題に付き合っている暇はない。

  

「先生」が、修行を積んだ仙人みたいな人だとして、「あるべき人の姿とは」なんて問いを出されたとしても、「それはあなたが山の上で勝手に考えておいてください」という感じだ。「あるべき姿」を目指せるほど暇ではない。僕たちは生き抜くのに精一杯である。自分たちの宿題で手一杯である。困難な自分を抱えて困難な世の中で、励まし合うのに精一杯である。
  
もし僕が山に登ることがあるなら、修行や隠居ではなく、自分の興味のままに、楽しみのために登るだけである。

昆虫オタクは、夏休みの宿題そっちのけで、昆虫採集に勤しむものなのだ。