それは、もう100回に満たない気がして、丸々3日分にも満たない気がして、その間じゅう、僕が君にあげられるものは何もなく、君を思っていることの証明は何一つできない気がして、そういう順番に僕たちの人生を作った誰かは、いじわるだなぁと思う。
でも、永遠に終わらない責務や心配より、いつか終わりがあったほうがいいと思う心がどこかにあって、そう思う僕の心のほうが、いじわるだと思う。
いつもは、100年経てば殆どのものが誤差だって息巻いているくせに、この1年2年が惜しい。
君がどんなに嫌がろうが、僕は君が寝てる横で、君に明日が来るようにと、早く安らかになるようにと、両方を胸に抱きながら君に布団をかけることなんて、厭わないのに。君に愛だけじゃなくて、憎しみや諦めや、色んな気持ちを持つようになって、ぐちゃぐちゃにされてもいいくらい。
君の全部は君のためにあり、君はそのことをとても大事にするのに、君はそれを自分自身のためではなく、誰かのために使ってしまう。
その行使は、自己犠牲と言うには、あまりにも軽やかで、自己満足と言うには、よく見え過ぎている。僕はその矛盾を含んだなるべく全部を、透明人間のように吸い込むことしかできない。この季節にいつも君を思うのはきっとなにか理由があるんだ。
僕はふたご座の弟子である。