まるでバベルの塔の建設。
ピラミッドの石を運ぶ労働。
僕たちが現代に作り上げたもの、やり切ったもの、どれも後世の人々に「なぜこんなもののために?」と言われるに違いない。
淡々と石を運び、積み上げる君も、心の何処かで「崩れてしまえばいい」と思っている。
それを抑えつけて、もう一つ石を積むことを「理性」と呼んでいる。人間的だと思っている。
でも、「偉大な事業」のために自分を使わせるのは、もうこれっきりにしてほしいと思う。
僕はそう思う。君がそう思わなくても、僕はそう思う。
元々の自分から変身するために力を注ぐことを“努力”と言い出したのは誰だ。
それはまるで、嫌いなものをそれでも手元においておこうと引っ張る力のことを「愛」だと言うみたいに、あべこべだ。
君の中に生まれる欲求と衝動を、君は「これが“人として”正しいと思うから」という一言で抑えつけて律することができる。理性の権化である。あるべき人間の姿である。その“正しさ”にため息が出る。
でも、それを選び続けるだけなら、生き物である必要がない。
逆説的に、その“正しさ”が、君に生物であることを辞めさせている。
「そうだ。できることなら僕はそうなりたいんだ」
君がそう言うとしたら、僕はなんて言えばいいんだろう。
何を言おうとしてもこの季節は、酷いことを言ってしまいそうだなぁ。君を傷つけたいわけじゃないのに。
とにかく、僕が言いたいことは、
君は使い捨て燃料じゃなくて、太陽だということ。
なりたくないものになろうとする必要はないということ。
「正しいこと」をやろうとしなくてよいということ。
君の中の暴力も衝動も、「今こうなってるだけ」だから。これが君の本性ではないのだから。
ちゃんと燃えて灰になる。大丈夫。


