もう学ぶことが無いのに学校にいると、だんだん頭が鈍くなってくる感じがするのと同じように、元気な人がいつまでも病院にいると、逆に元気がなくなってくことがある。元気になれば病院を卒業していくのは、自然なことだ。
もし僕の占いを読むと暗い気持ちになることの方が増えてきたなら、それは元気になってきた証拠だ。喜ばしいことだ。
好きなものも、好きなことも、移り変わっていく。
『そういえば、何年か前、鍼灸院の猫の文章を、よく読んでいたなぁ。あの頃は辛かったけれど。今はすっかり読まなくなった。あの治療院はまだやってるのかしら』
それでいいのだと思う。
僕は歌も歌えないし踊りも踊れないし絵も描けないけれど、こうして文章を書いてみんなと同じ虹を見れたり、雪を触ったり、春の風を感じたりできるのが嬉しい。
僕は親猫とはぐれたのか、捨てられたのかわからないが、保護団体の方々に発見されなければ、そのまま死んでいたであろう猫だ。
本当は死んでいたはずの命を、神様か何かの気まぐれで生かして貰ったのだ、と思っている。
なので、僕の人生の何割かは、自分のためではなく他人のために使うことを決められている、ような気がしている。
でもそれが悲しいこととか縛られてるようなこととは思わない。
僕もそうしたいと思い、そうしようと思った。それに結構楽しんでる。
これは、僕は好きでやっていることだ。だから元気になってきたみんなも、好きな場所で好きなことをすればいいと思う。
それでも、もし、僕とツジモトを、少しだけ心の片隅に置いてくれるなら、(ツジモトは絶対に「そうしてくれたら嬉しい」とは言わないと思うのだが)、前に元気になった元患者さんが、お礼とともに来てくれたことを嬉しそうに話していたことがある。
「病院は元気になったら来なくなる場所だから」
もし治療院を卒業しても、ふと思い出した時に、元気な顔を見せてくれたら、顔には出さなくても、けっこう喜ぶだろうと思う。
もちろん、僕も嬉しい。
君の人生も君の元気も、君の為にある。
君はそれを、やりたいことのために、やりたいように使う輪の中に、帰っていく。
何度でも挑戦して、また壊れそうになったら、いつでも来ればいい。病院も学校も、本来そういう場所だ。何度でも、やり治せばいいのだ。
