#53 出生前診断のことなど

nishi01

遺伝性腫瘍の話をこないだちょっと書いてみたのだけれど、やっぱり遺伝子についてのご相談っていうのは、ときどき、ある。

産婦人科で出てくるのはいわゆる「出生前診断」っていうのが、その一番有名なやつになるのだろうと思うから、ちょっとその辺の話を書いてみようか、と思う。

いろいろ、面倒くさい話を真顔ですると、「赤ちゃんの様子をうかがうのは全部『出生前診断』に該当する可能性がある」って話になる。

つまり、検診の時に、超音波エコーで赤ちゃんの様子を見るでしょ。これを「赤ちゃんに会いに来る」って表現していた人がいるけれど、それもなんというか、ねえ。赤ちゃんって、ずーっとあなたのお腹の中にいるのよ。って思うところはある。お腹の中の赤ちゃんと、月1回面会、ってそれどんな理屈?って思う。それだけ、エコーっていう図像が影響力が大きいってことではあるんだろうけれど。

脱線してしまうけれど、子どもの教育の要点は「なるべく鏡を見せるタイミングを遅くする」ところにあるんだ、って聞いたことがある。チンパンジーに鏡を見せると、彼らはそこに映った存在は「自分とは別の個体」って認識する…らしく、威嚇してみたり、喧嘩しかかったりするらしいのだけれど、ヒトはどうやってなのか、それを「自分」であると認識することに成功した。ただし、自分が自分の外にいる、ってことになるわけで、これは自分っていうものの意識が大きく変容することになる、らしい。位置の情報が、っていうことなのか、視覚的な情報が、っていうことなのか、その辺は微妙にわかりづらい話なのだけれど、そういう「人為」の「外から見た自分」に触れる前に、しっかり自分自身を経験しておくことで、できる軸、みたいなものがあるのだろう。

ある意味、エコーをしてもらって、外に図像を出力して、そちらをみんなで向いている、っていうのは、胎内にいるときから、その「自分」が自分じゃないところにある、っていう経験になってしまっているのかもしれない…精神病理的に問題にはなっていないのだろうけれど、最近の「自撮り」の文化とともに、考えるべき案件なのかもしれない。

さて閑話休題。

出生前診断の話をしようとしていたのだった。エコーの検査で、たとえば妊娠9週から10週くらいのときにNT(頸部の透明帯)が分厚いとか、あるいは口唇口蓋裂が認められるとか、あるいは、指の本数がちょっと違うかもしれないとか、または心臓の形がちょっと違うかもしれない、なんていうことは、時々、ある。そういうものが見えるとしたら、それはある種の出生前診断になる。

もちろん、そこから、じゃあどうしていくのか、とか、その病態を確定診断するには遺伝子の検査が必要だとか必要ないとか、出産のタイミングを決めて、小児科医が待機している方が良いとか、お産が終わってしばらく落ち着いてからでも十分間に合うとか、そういう心配事の整理が必要になってくる。

という全部がいわば「出生前の診断」ってことには、なっている。なっているのだけれど、生まれてからわかった、で済む話については、まあそんなに慌てることじゃない。

生まれてくる前にわかっていた方が良いこと、っていうのは、何か、っていうと、「この子が生まれてきた方が良いのか、生まれてこなかった方が良いのか」っていうところが一番大きな話になる。

日本では人工妊娠中絶っていうのが、妊娠22週まではできる、っていうことになっている国なので、それまでに大きな異常があるなら、妊娠を中断して、この子は生まれてこなかった、ということにしよう、って、そういう選択肢が、ある。

福祉国家とされる北欧の国では、わりときっちりこういう検査をしているらしい。で、遺伝子の異常がある、って判明したら、わりときっちり中絶を選択しているらしい。え?障害者に優しい国じゃなかったの?って思うのだけれど、そこは彼らには彼らの合理性があるらしく、生まれてきた子が障害をもっていたなら、全力で援助するのだけれど、やっぱり援助できる人数には限りがあるから、予防(?)できるなら、そこはさっさと予防する、ということで、整合性がとれるのだそうだ。この辺、日本人のメンタリティとはちょっと違うのかもしれない、と思った。

妊娠中のいわゆる「出生前診断」っていうことで、遺伝子の異常を探す方法はいくつかあって、いちばん確実な方法は「羊水検査」って呼ばれるもの。羊水を採取してきて、そこに転がっている胎児由来の細胞を培養して、遺伝子の数を数える、っていう方法。もうちょっと早い段階だと絨毛検査っていう方法を使うこともある。ただ、羊水検査も、絨毛検査も、数パーセントの流産リスクがある。だから、その前に羊水検査のリスクをとるだけの「事前検査」をしたい。それがNIPTなんて呼ばれるもので、最近出てきた。

NIPTってのは、母親の血液の中に混ざり込んだ胎児の遺伝子断片を集めてきて、これの数量的バランスから、染色体が多いとか少ないとかの可能性を判定する検査、ってことになっている。それ以前はトリプルマーカーテストとかっていう、胎児由来のタンパク質なんかを組み合わせることで、天気予報的な判定をする方法だった。

NIPTの検査を受けます、あるいはその後、妊娠の中絶を選択します、っていう話になりそうな場合、っていうか、検査を受ける場合には遺伝カウンセリングっていうのを受ける必要がある。ってことになっている。なっているのだけれど、やっぱり染色体の異常(いちばん多いのはいわゆる21番染色体のトリソミー、つまりダウン症と呼ばれる異常らしい)があると、じゃあ妊娠中絶をします、っていう結論に到達しておられる方が、とっても多いらしい。カウンセリングというほどの話にならない、と嘆いておられた、と伝え聞いたことがある。

『選べなかった命』https://jdss.or.jp/recommended-books/74/ という本がある。これは、出生前の遺伝子検査をしておきながら、その伝達にエラーがあって、母親はそれと知らないままにダウン症の子どもを出産され…、という話(ノンフィクション)である。裁判の経過とあわせて、お母さんの心情が少しずつ変化しておられることも書いてある。

ちなみに、養護学校の先生によると、羊水検査ができるようになる以前、養護学校の生徒と言えばダウン症の子がほとんどだった、というのだけれど、今(訪問したのは20年以上前の話ではある。その当時の「今」だった)はダウン症の子はほとんどいない、ってそういう話をされていた。支援学級の拡充なんかもあったのだろうけれど、現場ではやっぱり選別がかかっているのだろうなあ、って雰囲気の話だったのを覚えている。

『分娩台よ、さようなら』を書いた大野明子先生は『子どもを選ばないことを選ぶ』https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784840407731 という本を出しておられる。なかなかこのあたりをどう考えるか、っていうのも難しい。

遺伝病については、本当にいろいろ、ある。

当事者にしかわからないこともけっこうあるし、悩みごともあったりする。

たとえばハンチントン病という疾患があって、これは常染色体顕性の遺伝形式をとる。https://www.nanbyou.or.jp/entry/175 日本ではまれな疾患ってことになっているけれど、家族のためのブックレットがあったりする。https://www.nanbyou.or.jp/wp-content/uploads/upload_files/huntington.pdf

この辺は、本当に当事者の方々の悩みって大きいとは思う。なんとか折り合いをつけておられる方もあるけれど、なかなか折り合いがつかない場合もあって、本当に悩ましい。

もちろん、世の中には遺伝子だけでわかる病気だけじゃなくて、いきなり降ってくる難病ってのもあるから、と言いたくはなるのだけれど、遺伝子検査で「あなたはほぼ100%発症します」って断言されると、それはそれでつらいことになる。それを知っている方がよいのか、知らないままで発症するまで待つのがよいのか、ってあたりも、病気によってぜんぜん扱いが違うのだろうと思う。