#95 番外編:生命科学の実験室風景

nishi01

大学院で研究…の真似事…をやっていた時に、どんな道具立てだったか、っていうのを、ちょっとまとめてみよう、と思った。こういうことを整理することで、生命科学の研究っていうのは、「何を見ているのか」ってのが、わかりやすくなる、と良いなあ、と思う。

結論から言うと「何を見ているのか」っていうのは、ちょっとわかりづらい。物事そのものの「影」をみながら、その影がどうやってそこにその形にできるのか?ってのを一生懸命考えている、っていうのが、わりと正確なところ、なのかもしれない。

生きている細胞をたとえば、顕微鏡で観察します、っていう話であれば、目で見て、こういうものがありました、こういうことが起きました、っていうのを、記録するってことになる。細胞学の初期はそれだけでも新しい発見がたくさんあっただろうけれど、さすがにレーウェンフックが細胞(Cell)という名前を命名してから、かれこれ400年ちかくになる。同じ道具立てではだんだん「ネタ切れ」になってくるのはまあ、当たり前といえば当たり前なわけで。

生命科学の分野で、わりと大きな発見は「PCR法」だったんだろうな、と思う。ポリメラーゼ連鎖反応。DNA(やあるいはRNA)の合成を、人為的に行う方法で、しかも、これに使う酵素が、なんだか激烈な高温で作用する、っていうものを見つけた人がいたらしい。

今は本当にお手軽キットになった。DNAの材料である核酸と酵素が混ざった形のセットがあって、これに、プライマー、と呼ばれるものを混ぜることで、プライマー部分のDNAを増幅させていく、っていう原理である。

「中国では、PCRを人力でやってるらしいぜ」って学生の時に噂していたのだけれど、日本にある全自動PCRっていうのは、結局中で機械が温度を変動させているだけなので、その部分をタイマーで管理しつつ、人が指定の温度のところを行き来させたら、人力でPCRができるのは間違いなかった。原理についてはあちこちに書いてあるけれど、例えばこちら。https://ai-ken.co.jp/column/1965/

私がやっていたところのPCRは「リアルタイムPCR」https://ai-ken.co.jp/column/2706/という名前で、反応をさせている間に蛍光が発光するように仕掛けてある試薬だったらしいのだけれど、増幅させていくと、増幅した度合いに応じて、蛍光が強くなっていく。増幅のサイクルを何回くらいするか、っていう話をしつつ(だいたい35サイクルから40サイクルくらいだったかな?)蛍光がどのくらいから観測されるか(Ct値って呼んでいたような気がする)、ってことを調べて、その遺伝子の発現の強さを評価する、っていうのが、まあ、一般的な方法だったと思う。

発現の強さ?って部分がちょっと面倒くさい話になるのだけれど、ええと、たしか、遺伝子ってのは、DNAに書き込まれていて、それをRNAに転写してから、タンパク質に翻訳する、っていうのが「セントラルドグマ」っていう、生命科学の原理の部分だ、ってことにされているわけで、だから細胞のDNAまるごと調べてみたところで、もともとの設計図にしかならないんだけれど、ここに一つ裏技的な方法があって、細胞の中からRNAを抽出してきておいて、それをDNAに「逆転写」することで「今動いているRNAの様子」ってのがわかる、って話だったような気がする。

この逆転写酵素ってのも、けっこう大きな進歩だったはず。この遺伝子の抽出も、本当にまるごとキットになっているので、原理が理解できないままでも、そこに書いてある通りに細胞を溶解させたら、順番に試薬を入れて、はい次!はい次!って手だけを動かしていると、DNAができあがる。うん。https://catalog.takara-bio.co.jp/product/basic_info.php?unitid=U100006686

で、こうやって細胞から得られたRNA…だったかDNAだったか…の中に、目星をつけた遺伝子の配列がどのくらい入っているか、っていうのを調べるのがリアルタイムPCR、ってことになる。

最近は、ハイスループット(って言うらしい)のDNA検索がかけられるようになって、こんなピンポイントで調べる、のではなくて、一度に100を超えるDNAの発現量を定量化する方法があったりするので、こういう絨毯爆撃的な方法に比べると、火縄銃で狙撃、的な方法だと思っていた。まあ絨毯爆撃するには、それなりの資本力が必要で、そういうものは無かった研究室だったので仕方ない。

ちなみに、絨毯爆撃すると、遺伝子の発現の強度はヒートマップ的なもので出てくるらしい。これはこれで、解釈するのに手間暇がかかることになる。

今まで、さらっと「狙ったDNA配列があるかどうか」ってことを書いてきたけれど、実は、この部分にもそれなりに大変なプロセスがある。狙ったDNA配列の、どの部分を増幅させるか、っていうプライマー部分の「設計」である。

最近は、DNAの基本配列がほとんど全て、インターネットに載っているらしいので、目的のDNA配列はパソコンで調べることができる。で、その中から、「良さげな部分」を選んで、「良い感じ」の長さを切り取ることになるのだけれど、これをどう選ぶか、っていうのは、うーん。なんかねえ。私の時には、「予想ソフト」があったんだよねえ。で、これこれの配列の…って言うと「じゃあこの辺はどうですか?」みたいな返事が返ってくるんだったか。

で、このプライマーっていうのは、わりと職人技で作る、らしく、オーダーメードになるから、それを作ってくれる会社に申し込むわけ。しばらくすると、うやうやしい雰囲気で、このプライマーが送られてくる。実際に中に何がはいっているのか、っていうのは、まあ、きっと間違いは無いんだろうけれど、厳密には「よくわからない」。

論文にするときにはこのプライマーのデザインをこういう風にしました、ってのを書くことがけっこう多いらしいのだけれど、昔、最先端の領域では、わざとプライマーの配列を「間違えて」記入していた、とかっていう話もあったらしく、この辺の情報戦も激戦地では大変だったらしい。

そして、狙った遺伝子が、たとえば「刺激をした細胞と、刺激をしなかった細胞と」で比べて、発現強度が違う、ってことがわかると、「刺激によって、この遺伝子の発現が変化する」ってなことを主張できる、っていうのが、まあ生命科学の理屈の部分ではある。

わりと生命科学とか、遺伝子の話とか、そういうことの入門書には、「だからここを調べたら何でもわかる」って書いてあったりするんだけれど、なかなか情報量が多すぎて「本当かよ」って話になるのは間違いない。うん。

ちなみに、細胞っていうのは、「脂質」と「タンパク質」と「糖質」と「核酸」とでできている、ってことになっている。脂質はわりと皆さん同じような形の分子をそれぞれ同じように使っているし、糖質はなかなか分析の方法が進まない、っていうこともあって、特徴的なタンパク質と核酸の部分が分析しやすい、ってことで、どんどん話が進んでいる。

ほら核酸の話したでしょ。遺伝子が発現しているっていうことは、その下流で、タンパク質が動いているわけなんですよ。きっと。タンパク質だけじゃないんだけれど、まあいいや。ひとまずなにか、細胞が仕事をするときには、だいたいはタンパク質がその中心的な役割を果たしている(酵素ってのはタンパク質でできている)ので、ひとまず、タンパク質がおさえられたら、動きは、まあわかるだろう、ってことになっている。

どんなタンパク質が細胞の中で発現しているか、とか、狙った遺伝子から発現したタンパク質が実際に細胞の中にあるかどうか、っていうのを、やっぱり気にしたいので、タンパク質についてもいろいろ調べる手法が、ある。

まず、タンパク質ってのも、本当にいろいろ、ある。いっぱいあるので、これを分離する。分離する方法としては、これもいくつか方法があるのだけれど、電気泳動っていうのが、わりと手っ取り早い方法ってことになっている。で、その後、これを使って調べる方法としては「ウエスタンブロッティング」って呼ばれる手法を採ることが多いらしい。https://www.cytivalifesciences.co.jp/technologies/ecl/principle.html

なお、生命科学ではDNAについての分析方法として「サザンブロッティング」ってのがある。これはサザンさんが発明した方法らしいのだけれど、それになぞらえてRNAについての分析を「ノーザンブロッティング」って命名した人がいる。「ウエスタンブロッティング」っていうのは、それとの関連で命名された、らしい。なぜイースタンじゃなかったのか、みたいな話はあるけれど、まあ何でも良かったんだろう。きっと。

電気泳動だけだと、そこにタンパク質がある、っていうところまでしかわからない(ある程度、電気泳動の時の動きのはやさで、タンパク質の大きさ?とか重さ?みたいなものは想定できる)のだけれど、このタンパク質を識別できる「抗体」があると、「ほら!ここに!目的のものが!」みたいな話になる。抗体っていうのは、「鍵と鍵穴」に例えられるけれど、本当に特異的にそれだけに反応するように作られているから。

こういう「特異的な抗体」っていうのを作るのも、これまた職人技で、まあ今は、研究に使われるタンパク質特異的な抗体、っていうのが、電話帳(死語だなあ。最近の電話帳は薄いし…)みたいな厚さで一覧になっていたりする。抗体を作るためには、だいたいは異種の動物に、研究で使いたい標的のタンパク質を注射したりする、っていう動物の異物反応を応用している。上手いこと抗体が作られた場合には、これを上手に取り出して、細胞融合させたりすることで、細胞単位で抗体を作ることを継続する、らしい。

こういうカタログとキットが、最近(といっても私が大学院にいたのはもう10年近く前になる。今はもっと風景が変わっているのかもしれない)の生命科学の実験室を支えていたのだと思う。

抗体っていうのは、本当にあちこちで使われていて、これが無いとなかなか話が進まない、というのは確かだった。

私の使っていた測定系ではELISAって呼ばれる方法をやったのだけれど、これも原理を見てもらうとわかるように、抗体が重要な役目を果たしている。https://ruo.mbl.co.jp/bio/support/method/elisa.html というか、抗体無しではこの測定キットも成立しない。

たしか、私がやっていた方法は「サンドイッチ法」というやり方だったと思う。これは測定する標的のものによってもそれぞれ方法が違うのだけれど、わざわざ濃度測定する液体を一度キットに入れたあとで、反応させてから「全部捨てます」っていう形になっていて(いや実際には、キットの底についている抗体が反応しているから、全部捨てているわけじゃないのだけれど)「本当に良いのか!?」ってドキドキしながら捨てる、っていうことをやった記憶がある。ちゃんと結果がでて良かった、って胸をなで下ろしたものだった。

計画したとおりの実験結果が出たら、それで一安心、っていうことになるんだけれど、逆に言うなら、計画したとおりってことは「既知の情報」だったりする。思いがけない何かを見つけようと思うと、実験はきっちりやっていても、結果が思いがけない形になる、っていうのが必要なのかもしれないけれど、実際の研究では「結果が思いがけない形になっている場合は、実験やってた当事者が下手をうった」っていうことの方が多かったりする。このあたりをうーん…って唸りながら研究を進めていたのだけれど、本当にわたしの研究は進みが遅くて、大変だった。

実験するためには、研究用のサンプルが必要なんだけれど、私は「初代培養」といって、手術で採取された「取れたて」の細胞を培養にかける系を使っていた。そうすると、大学の手術の予定が入らないと、細胞が手に入らない。

細胞が手に入らないと次の実験が進められないんだよなあ…って思いながらぶらぶらしていたわけで、研究のために、だれか、手術受けてくれないかなあ…なんて不謹慎なことを願うようになってしまっていたのを、自分でも覚えている。

臨床では、手術を受けなければいけないひと、っていうのが居ることは、残念なことでしか、ない。その手術を受ける人がいる、っていうことを心のどこかで「喜ぶ」自分がいて、臨床からずいぶん離れたところに来てしまったなあ、と思った。

世の中では「臨床をやりつつ、研究も」という人たちを養成しよう、という向きもあったのだけれど、臨床と研究は、やっぱり関わる人のあり方が微妙に違うところが出てくる。それを上手に行き来できる人ってのは、あまり多くないんだろうなあ…って思うと、必ずしも研究ができる人が臨床家として上等、でもないし、臨床できる人が研究もできる、ってことでもないんだろうな、と思っている。

どちらも、それなりに大事な仕事ではあるのだろうけれど、なかなか一人のにんげんが両立させるのは難しいんだと、私はそのように感じたのだった。