#96 番外編:目の話

nishi01

目の話を書いてみよう、と思う。目だぜ。産婦人科医だか漢方医だか知らないけれど、目、って正気かよ、って言いたくなる。どう考えたって、そこはなかなか、関係無いだろうに。ねえ。

そうは言うのだけれど、それなりに関係があったりは、するのかもしれない。うん。ほら、漢方的な思想で言うとさ、目で見る、って時には、目からビームが出てるのよ。で、しっかり見ようとすると、肝の気を消耗する、ってことになっている。

妊婦さんはもともと、繕い物とか、やっては駄目、って言われてるでしょ。あれ褥婦だけだったっけ?小さいものを追いかけて、根を詰めると駄目だよ、っていうのと同時に、目の緊張がやっぱり頭の緊張やひいては、骨盤の緊張を引き起こすのだろう、と思っている。だから、妊婦さんには目の緊張、という点においてだけでも、スマホは禁止した方が良い。まして、ろくでもない情報にさらされて、不安になるくらいなら、なおもって、と言いたいところでは、ある。なかなか現代人にスマホ禁止、っていうのは、理解されがたいとは思うけれど。

目の構成を考えると、学生時代の解剖学の講義、くらいに遡ることになるのだけれど、眼球は、だいたい10円玉くらいの直径、って習ったような記憶がある。これは、子どもでも、成人でも、そんなに大きさは変わらない、らしい。これもびっくりした記憶があるけれど、だから子どもの目は大きく見える(相対的な話)のかもしれん。あとは黒目の部分の大きさなんかもあるんだろうけれど。

眼球の構成は、一番外側に強膜っていう膜があって、その内側に硝子体と呼ばれる構造がある。https://www.ocular.net/jiten/ 構造といっても、ここは光を通過させる場所で、ピントの調整なんかは、眼球の一番前方に角膜があって、そのあと、水晶体っていうのがあって、この辺がいわゆる「レンズ」の役割りをしている。眼底部、っていうのは、目を覗いたときの一番奥側、っていうことだから、角膜からすると、反対側が眼底ってことになる。ここには、視神経が出入りする穴があって、外と繋がっているが、あとは「網膜」っていうのが張り巡らされている。

この視神経の出入りする穴は、けっこう大きくて、実は、この部分には網膜が存在しない。なので、目の中でこの視神経の穴に該当する部分は、実は「見えていない」のだけれど、ヒトはほとんどその見えていない部分を意識せずに生活している。この「見えていないけれど、そのことにも気づきにくい場所」のことを「盲点」って呼ぶわけで、まあ、そりゃ見えていないし、認識していないのだからそれは盲点なわけだ。

「ヒトは網膜に投影された像を認識している。これは眼球の「中」に存在する像のはずなのに、どうして私たちの認知は、見えているものが「私の外」にあるように感じるのだろうか?」って、そういう質問をなげかけた方があった。なるほど。うーん?ええええ…?いろいろ考えたけれど、いやそりゃ、「身体の外だから」ってしか言いようがないのではなかろうか、ってところで、あまり上手いこと説明はできていない、らしい。

ヒトの目はけっこう錯覚を引き起こすのは有名で、例えば満月を見ている時に、叢雲がかかったまま動いていると、月の方が動いているかのように見える。これもどうしてそうなるのか、今ひとつ上手い説明はできていない、らしい。

まあ、眼球の構成については、角膜+水晶体ってのがカメラで言うところの「レンズ」で、硝子体とかがある部分が「本体」で、網膜の部分が「センサー」とか「フィルム」ってことになる。

レンズの性能が微妙だと、網膜の部分にピントが合わなくなることがあって、これが、網膜よりも手前(角膜に近い側)にピントがあうと「近視」、奥(角膜より遠い側…眼球の外になる)にピントがあうようだと、「遠視」ってことになる。遠視の時には凸レンズを使えば、焦点が近くなるし、近視の時には凹レンズを使えば焦点が遠くなるので、ピントがあう、ってことになる。

ある程度は水晶体が伸び縮みして、ピントを調整する、ということになっているのだけれど、この水晶体と、その周辺の小さい筋肉との関係は、年々調整の能力を低下させる、らしい。だいたい35歳を過ぎると、ピントが合いづらい、ということが発生してくる。いわゆる老眼のはじまり、である。

乱視ってのもあるのだけれど、これは、たとえば縦と横で、焦点の位置がずれることを言うらしい。なんでこういうことが起こるか、っていうと、角膜とか水晶体っていうのが、きっちり球形のレンズじゃないから。加えて、眼球が微妙に変形している、なんていうことも、あったりする。近視のひとの場合、眼球はやや前後径が延長している、っていうのが普通で、強度近視の状態のひとだと、水晶体を摘出したあと、矯正が必要ないくらいになる方もあったらしい(と曾野綾子は書いている。ただし、彼女の場合は、本当に極端なケースであって、眼内レンズを挿入しない場合は、本当に漫画みたいな丸いレンズのメガネを使用することが一般的だった)。

視力が落ちた、という話をするときには、一般的には、レンズの性能が今ひとつで、ピントが合わなくなった…という話が多いのだけれど、カメラの説明でご理解いただけるだろうか、写真が綺麗に写らなくなった、というときには、「レンズ」が悪い場合もそうなるけれど、たとえば「フィルム」…ないしは「センサー」が不良になれば、どんなにレンズを入れ替えても綺麗な画像にはならない、ってことが発生する。あるいは本体の光が通過する部分に、なんらかの異物がある、なんていうことだって起こりうる(硝子体出血など)。よく可視光線っていうのは、水を通過するようになったなあ、って感心するのだけれど、考え方が逆で、水という物性を通過する範囲の光を、ヒトは認識するようになっているのだ、ということらしい。

脱線するのだけれど、実は網膜の「可視光線を認識する」という構造が、皮膚にも発見されている。これは傳田光洋氏の本に詳しく書いてある。『皮膚感覚と人間のこころ』新潮選書(https://www.shinchosha.co.jp/book/603722/ )など。

彼に言わせると、皮膚は、赤外線を認識する(温度感覚)部分がある…たしかにある。そして、紫外線を認識している(紫外線にあたると皮膚はメラニンを作って「日焼け」するわけで、これもたしかにそう言える)。だから、赤外線と紫外線の間だけ、センサーが無い、ってことはないんじゃないか、って思ったらしい。うーん。すげえ。それだけで網膜に似ている分子を見つけ出すわけだから、天才はやっぱり天才なんだろうなあ…。松果体にも光を認識する部分がある、って話にはなっているけれど、松果体まではどうやって光が入って行ってるんだろうねえ…。

網膜の部分の光受容体は、たしかその中心にレチノイン酸だったか、なにかが構造として置かれていたはず、である。今ひとつ覚えがあやふやなのだけれど、このレチノイン酸(ビタミンAの誘導体だったと思う)は、一部に二重結合があって、この二重結合部で「シス」型を取っているのだけれど、これが光のエネルギーを受けると、「シス-トランス変位」をするのがその中心だったと思う。https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/55/6/55_299/_pdf

まあそういう光エネルギーで変化する分子構造を使って、その反応を拾い上げて、電気信号に変換している、っていうことなわけで、ビタミンAが欠乏すると「とり目」になる、っていうのは昔からよく言われたことだった(ビタミンAは脂溶性ビタミンなので、摂りすぎにも注意ではある。何事も適量というものがある)。

で、こうやって網膜上の「光刺激」を「神経信号」に変えたあとは、視神経にのって、大脳皮質の、視覚野と呼ばれるところにこの神経の情報が伝達される。ざっくり、わりと後頭部のところに行く。もちろん、それまでに下垂体のところで一部は交叉するとか、いろいろあるのだけれど、まあそうやって脳に入って、あとの画像処理は脳でなされている、っていうことになっている。

視野の欠損がある、っていう話になったときに、どういう形の欠損か?ってのを、この神経の走行と見合わせながら検討すると、どこに病変があるか、わかる、っていうのがあった。いろいろ覚えたけれど、今残っているのは、下垂体腫瘍などで視神経交叉が圧迫されると、両目とも、外側半分の視野が欠損する。「両耳側半盲」と呼ぶ病態が発生する。これは、網膜にうつる画像が上下反転していることから、外側の画像情報が目の内側に投影されているのだけれど、この部分の視神経が交叉する場所が障害されるから、という話になっている。

こういう視野の欠損が出現したときには、以前書いたような、下垂体腫瘍に対するハーディの手術の出番であったりする。

現代の日本において、失明することはそれほど多くない、とは言ってもやっぱりそれなりに発生はするわけで、後天的な失明の原因ってのが数え上げられている。

一番多いのは緑内障、らしい。で、次点で糖尿病性網膜症だろうか。白内障と緑内障は、昔は「そこひ」と呼ばれて、同じように失明する疾患扱いされていたのだけれど、白内障は水晶体の白濁を回避すれば、なんとか視力が回復することが知られている。

昔アラビア医学の世界では、水晶体を脱臼させて、硝子体の中に転がり落とす…?という方法を採っていたらしい。当時の医療水準で、どのくらい感染が回避できていたのか、はちょっとわからない。ただ、完全に見えなくなるのはどちらも一緒なわけで、運が良ければ、それなりに見えるようになるかもしれない、っていう意味では、賭けてみるのに値するくらいは実績があったのかもしれない(たいていの場合は、強い凸レンズが無いと、きっちり網膜に像が結べない、いわゆるきつい遠視になるのだけれど、この辺もどうしていたのだろうか…?とは思う)。

緑内障というのは、眼圧との関係を指摘される。

眼球の内圧が亢進することで、網膜が圧迫されつづけると、やっぱりそれで神経の変性を起こすのだろうか、視野が欠損していく、ということになるらしい。って書いてから調べてみたら、「多くの緑内障の患者の眼圧が正常範囲内であることもわかっています」ってことで、定義も「眼圧が高いから」とは書いてなかった…。https://www.nichigan.or.jp/public/disease/name.html?pdid=35 初期の視野欠損は盲点が増えた、くらいの扱いで、人間はその「見えていない部分」を画像処理して見えているかのように取り扱うため、あまり面積が広くないと気がつかない、というところは注意点だったりする。

眼圧は、眼房水という、水の供給と排出の関係で上がってくる、とされていて、この眼房水の排出が制限されると上昇する、と言われているので、眼圧を下げるために、排出路である隅角の部分を切開する、というような手術を行うことがある。逆に、散瞳させると、この隅角の部分が閉塞しやすくなるので、緑内障の患者に散瞳させるときには注意が必要である。

眼圧が急に上昇すると吐き気を伴う頭痛が発生したりするけれど、たとえば、逆立ちなんかも眼圧が上がる。ヨガのポーズもそういう姿勢がいくつかあって、緑内障についてだけ考えると良くなかったりするので、その辺も注意が必要になったりする。

糖尿病性網膜症は、糖尿病によって動脈硬化が進むと、眼底の血管も動脈硬化が進むので、そこで出血したり、血管が詰まったりする。それをなんとかしようとすると、新しい血管を作ることになるのだけれど、この新生血管っていうのが、また出血しやすい、ということで、こまかい出血を繰り返すことで、視野が奪われていく、というものらしい。

治療としては、光凝固療法というのが用いられていて、これは正常の網膜細胞を一部間引きすることで、網膜に必要な酸素の量を減らして、新生血管が発生しにくくする、という方法らしい。視力としては、治療前より低下する、って書いてある。今後の失明を防ぐため、とはいえ、なかなか厳しい選択になる。https://www.nichigan.or.jp/public/disease/name.html?pdid=49

白内障については、最近は水晶体を除去して、そこに眼内レンズを挿入することが一般的になってきた。レンズにもいろいろあって、ここでも「遠近レンズ」なんていうものもあるらしいけれど、この辺は一度間違えたから入れ直し!っていうわけにもいかないものらしく、慎重に決定する必要があるらしい。

民間療法として、「そこひに効く」っていう施術があるのだけれど、「銅貨で耳たぶを挟んで引っ張る」というものだったように覚えている。挟んで引っ張りながら、パチン!と音を立てて外れるようにする、というのだから、本当に悲鳴を上げるくらい痛い。耳と目はそれなりに関係がある、ってそこには書いてあったような記憶はあるが、まあ気休め程度だとは思う。

目の病気とか、解剖とかの話は日本眼科学会が一般向けにわかりやすく書いてくれていた。https://www.nichigan.or.jp/public/disease/ ので、細かくはそちらをご覧いただくと良いのだろうと思う。

で。私はもうちょっと目の外側の話をしたいと思っている。目の話してたんちゃうん?目の外側ってどこよ?って思うだろうけれど、外眼筋というのがある。眼球を動かすためにある筋肉で、全部で6種類ある。

筋肉にはそれを動かすために、神経がくっついているのだけれど、実は、この外眼筋の神経というのが、身体中の筋肉の中で、一番、太いらしい。これはどういうことか、というと、微細な筋肉の調整をするために、小さい筋繊維ごとに細い神経が繋がっている、ものが、束になっている、ということで、ここが一番、運動に神経を使っているところ、ってことになる。

じつは、ここの筋肉の偏った疲労が、眼精疲労の一部理由なんじゃないか、って私は睨んでいる。ヒトの目は、基本は遠くを見るときに緊張が無い状態になっている。つまり、近くを見るということは、それだけで目に緊張を引き起こすことであるのだけれど、さらには、両目で見ようとすれば、「寄り目」になる。この辺を矯正するには、メガネにプリズムを仕込む、っていうことになるのだけれど、なかなか、そういうことをすると、高コストになる。

ただし、目の使い方に変なクセができて、目が使えなくなるくらいなら、やってみるのは一つなんだろうと思う。プリズムが入ったメガネを私がお願いして作って頂いたのはこちら。https://shikaku-joho.jp/ 今はなかなか予約がとりづらくなっているらしい。目の使い方についても、何冊か今までに書籍を書いておられる。https://shikaku-joho.jp/media/book/

ひょっとすると、いわゆる「正常眼圧緑内障」と呼ばれている方も、何か「ものを見る」というときに、外眼筋が強い緊張をしていて、その時に眼圧があがっているのじゃないか、って、そんな妄想を私は抱いている。だから、脱力しているときに眼圧を測っても、そんなに高くないまま、それでも網膜細胞が損傷していく、っていうことが起こっているようにみえるのではないか、って。(これについては、私は全然なんの証拠も持っていない。是非どなたか、調べていただきたいところだけれど、どうやって調べるの?っていうところからして難しい)

そして、最近増えてきた?のは、たぶん、眼球運動調節障害による「めまい」じゃないか、って思っている。つまり、外眼筋の偏り疲労によって、協調運動に不調が生じると、身体の動きや、頭の動きをキャンセルする方向に眼球を動かす、っていう、微妙な操作が難しくなって、ズレが発生する。いわばジンバルが上手に機能しないっていうことになるわけだから、目が載っている身体(ないし頭)の動きに「酔ってしまう」ということが発生するのではないか、っていうのが私の考えである。

じゃあどうやって解決するのか?っていうと、外眼筋のストレッチである。

黒目をぐるりと「まんまるく、ゆっくり」動かすことはできるだろうか?やってみていただきたい。

どこかで、急に動いたり、あるいは、カクカクとした動きになったりはしていなかっただろうか?こういう部分で眼球の動きがなめらかではなくなっていると、外眼筋の偏り疲労が発生している可能性が高い。

主にヒトの生活では、近く、かつ、下の方を注視することが増えているから、特に眼球の運動としては、上に動かしたり、左右の斜め上に動かしたりする動きを意識的にやっていただくと、それで偏りが多少なり解消していくので、ぜひ目の体操を入れていただきたいと思う。

トラウマの心理療法の中にはEMDRという、眼球運動を併用した方法がある。心が「居着く」時には、目が据わるとも言うのだけれど、眼球運動が限定されたものになっている可能性がある。目は心の窓、というのは、そういう、眼球運動の協調性を評価していたのではないか、と思うところである。

なお、上記視覚情報センターの田村さんによると、眼球運動の左右の協調性が低い場合は尿酸値が高くなりがち(痛風の疑い)とか、その他にも「癌になりやすい」タイプの眼球運動特性、なんていうものもあるらしい。目と心と、身体の繋がりというのは、思ったよりも深いものがあるのかもしれない。