#44 癌の標準治療を選ばないひと

nishi01

癌の診断を受けている方が、なぜ、標準治療を受けないまま、「手遅れ」になってしまう、ということが起こるのか?って話をちょっと、書いてみようか、と思う。

 

これは本当にいろいろ難しい話が入っていて、一筋縄ではいかない。

それから、ある段階を超えてくると、「標準治療」が、もう、「無い」なんていうこともある。そういうときに、心の支え?になっているのは、どういうことを言っている人たちなのか、ってのも考えさせられる話ではあるんだけれど。

 

なんだかSNSを見ていたら、初期の乳癌、って診断されたあとで、標準的な治療を選択されずに、けっこうそれが大きくなってしまっておられて…っていう方があって、どこだかから発信されているのだ、とか。

そういう話題は、けっこう持ち上がっては、流れていく。うん。流れていく。別の話題で、テレビに出ている有名人が「乳癌がみつかって」っていう話を公表したら、その直後には、乳癌検診の希望が殺到した。だいたい2ヶ月半くらい、本当に殺到したらしい。それを当時の管理職がぼそっと「人の噂も七十五日」って言って、みんなで笑った。他人事だと、やっぱりそのくらいで流れ去っていく、ってことらしい。

だから、今回のSNSの話題も、きっといつの間にか話題にも上がらなくなってくるんだろうと思う、けれど、同じような話が、しばしば、繰り返されている、という風に感じる。そこにどういう心の動きがあるんだろうか…?ってことをちょっと考えてみた。

 

ところで。

癌の診断っていうのは、けっこう難しい。

「そんなの、病理検査したらわかるんじゃないんですか?」って話になるだろうし、病理の先生が癌と言えば癌で、癌じゃないと言えば癌じゃないわけだからさ。病理の先生におまかせしたら良いのよ…っていう向きもあるだろうけれど、なかなか一概にそうとも言えない部分もある。

昔、子宮頸癌…とその前癌病変の話題で、「腺管浸潤(Glandular involvement)」というのがあった。これは、子宮頸部の癌、ないし前癌病変が、いっけん、浸潤しているように見える。浸潤癌になると、これはある程度進行した状態だから、当時は子宮は全部取る、みたいなことが当然だったし、術後にもしっかり追加治療をすることが必要、とされていた、らしい。病理の先生はそれを「浸潤がある」と判断したのだけれど、当時の教授が、どうやら、「それはいわゆる浸潤じゃないんじゃないか?」って疑義を申し立てた、らしい。

もともと、その部分はでこぼこが大きいところを、うっかり別の角度から切り取ると、中に浸潤しているように見えるけれど、そうじゃないんじゃないか、腺的な構造を作っていて、その部分に細胞が集まっているのを、別のところから切り取ったから、そう見えるんじゃないか、みたいな話をした、のだろうと思うのだけれど、その結果として、もっと小さい手術で治療を済ませることができる、という判断にたどり着いたのだ、という話をちらっと聞いたことがある。

きっちり治療とか現場を知っているっていうことが必要だった、とか、あるいは、それまでに浸潤だ、と判定されていたものと、大きな手術をしてきたあとの組織での癌(あるいは前癌病変)との関係性なんかを、だいぶ積み重ねた結果なんだろうとは思う。

この間、胃癌…?と診断された方が、胃の全摘手術を受けたら、癌は無かった、ということで、ニュースになっていた。これも難しい話になる。

生検、っていう方法があって。これは、目でみたり、あるいは内視鏡なんかで近づいたところで見て、で、一番あやしそうなところを狙って、ほんの一部を切除したり切開したりして、検査に出す。だって、全部とってしまうわけにはいかないのだから。

で、そこで「どのくらいあやしいか」って判定をするわけ。

その小さい破片から癌が見つかった、っていうのだったら、これはまあ、話はわりと簡単で、「じゃあ、癌がありましたので、癌と診断しますね」ってことになる。

癌が見つかったので、そしたら、手術で、その臓器をまるごと取ってしまいましょう、っていう話は、わりと普通に進む。西洋医学って乱暴だなあ、って思うかもしれないけれど、放置していると、どんどん広がっていくことが心配されるからねえ。

で。そうやって手術で取ったものを、もう一度病理診断する。と。時々、癌が出てこない、なんていうことも、あったりする。

え?最初の時に癌、でてたよねえ?って思うのだけれど、それは本当に小さなかけらで。

本当にそれが癌だったのか…?って悩むこともあるんだけれど、うーん…まあ、最初の生検で、癌だった部分は全部取り切れていた、っていう、まあ冗談みたいな話がうまいこと起こったのかもしれない、なんて話をしたりはしていた。

「根治的生検」なんて冗談みたいなネーミングをつけたりして、ねえ。

 

逆より良いのだ、っていうのが、わたしたち医者の考えることだった。っていうのも、あるんだろうと思う。「取ってきた部分には癌は無いのだけれど、どうにも、この取ってきたところの近くには癌がありそうな雰囲気が漂っている」みたいな、そういう状況の時に、次の手をどううつか、って、これは難しい。「もう一度、同じ検査させてください」って言うのか。その段取りしている間に、癌だったら、少しずつ進行していくんじゃないだろうか…?とか考える。

ちなみに、突然お腹が痛くなって!みたいなことで運び込まれた患者さんが、癌かもしれない、なんて話になったら、緊急手術!とは、あまりならない。むしろ、ちゃんと手術ができるように、術前の検査をしっかりして…って、1週間くらいは検査してたりする。

CT撮影したり、MRI撮影したり、あるいはFDG-PETとかっていう検査してみたり。そういう検査で、きっちり癌の広がり具合を評価してから、手術、っていうのが大事。緊急手術でうっかり手術してしまって、不十分な手術にならないように、ってことを優先する方が、本人にとっても良い、という判断になっているんだろうと思う。いや、癌が進行しないの…?って焦るんだけれど、まあ1週間くらいの遅れ?はぜんぜん問題にはならない、らしい。それよりも中途半端な手術をして、取り残しが出る方が問題が大きい。

癌の初期段階としては、あまり典型的な症状ってのも無いから、わかりづらい、って話を前にどこかで書いた気もするけれど、例えば、お腹がすごく張ってきていて、中に腹水が溜まっている、とかっていうんだったら、だいたいは癌がある、みたいな判断をすることになる。癌の影響で腹水が溜まっているんだろうねえ…って。

ところが、これも不思議なことで、それだけパンパンに腹水が溜まる、のに、癌がみつからない、っていう病態の方も、時々いらっしゃる。

腹水が溜まってくると、けっこう呼吸もしんどくなってくるので、お腹に針を刺して、そこから腹水を抜くことをやるのだけれど(腹水穿刺)、癌の時には、だいたい、この穿刺して採取した腹水の中に、癌細胞が混ざってくる。(場合によっては、この刺した皮膚のところに癌細胞が付着してしまうこともあるので、注意が必要とされてはいる)だから、これでひとまず「どこからの癌かはわからないけれど、癌であることはたしからしい」くらいに診断をつけられることが多いのだけれど、ここで癌細胞が出てこない、ってなると、悩む。

いやどう見ても癌みたいな雰囲気なんだけれど…って思いながら、悩む。抗癌剤を使おうか?って話にはなかなかならない。だって副作用もけっこうきついもの。手術をして、そこから…って言いたいのだけれど…って感じになってくる。

わたしはそんなに癌を専門で診ていたわけでもないし、そんなに患者さんが多かったわけでも無いのだろうとおもうのだけれど、結局癌が見つからないまま…という患者さんを、少なくともお二人、拝見している。もうどちらも、本当に「若い身空で、癌になってしまって…」みたいな感じだったし、担当しているときには「十中八九、癌だと思うから」って説明して、今後の段取りみたいなことも考えていた。どれだけ探しても、癌の証拠が得られない、ってことになるまで、本当にいろいろな検査をしたことを覚えている。

「レントゲンで、肺にあやしい影がある、って言われたんだけれど」って相談されたこともあった。うーん。臍から上は専門外なんだけれど…まあ、でもまずはCT撮影かなあ…。レントゲンだけではなんとも言いづらいよねえ。その先は…って思ったら、CTでもやっぱりあやしい影、だったらしい。「先生は癌の疑いがあります、って言うんだけれど、確定じゃないって言うのよねえ」って言われた。うん。確定には、癌細胞をつかまえてこないといけないのよ。

その後、気管支鏡を受けたらしい。気管支鏡もすごく大変な検査で、ってこれは別の病理の先生に言われたんだった。気管支鏡で得られた組織片ってのもとっても小さいものにはなるんだけれど、あれ、「もう一回させてください」って言って、オッケーだしてくださる方、皆無に近いくらい、しんどい検査なんだって。たしかに呼吸している肺の中を水浸しにするようなことをするわけで(もちろん、ちゃんと呼吸できている部分がしっかりあるから、一部分を水浸しにしたから、ってそれで呼吸ができなくなるわけじゃない、のだけれど)なかなか、大変な検査だ、ってことになっている。

結果としては、上手いことたどり着かなかったらしく、癌の確定診断には至らなかった。じゃあ、あとは手術、ってことになるんだけれど。「それがねえ。だって、手術してみて、癌じゃなかった、って言ったら、それは手術され損でしょ」って話されてしまって。

うーん。でもねえ。呼吸器の先生が、癌の可能性が高い、って言ってるんでしょ。それは、組織診断ができていないから、癌、って断定できていないだけで、多分、癌なんだよ。だからさ。そりゃいろいろあって、手術も怖いし、嫌だ、って話はわかるけれど、そこは手術受けておいて欲しい話なんだけれど…。

…結局、そこから1年くらい経って、手術を受けたら、幸いなことにそれほど進行しないままだったのだけれど、癌が見つかったらしい。

 

この辺、医者が考える「……の疑い」っていう病名の幅の広さが問題になるんだろうかしら?ってすこし考えてしまった。

わたしも診療していて、産婦人科の癌?前癌病変?ってところでうーん…って悩みつつ、手術を勧めて、なんとかご理解いただいた、っていう経験もある。産婦人科の関係は、これまた幸か不幸かわからんところではあるのだけれど、生存に必須な臓器じゃない、っていうのが割と大きいのかもしれない。

ほら。心臓は取り出してしまうわけにいかないし、肺もけっこう大事でしょ。子宮や卵巣が大事じゃないとは言わないし、大事じゃない、って思っているわけでもないけれど、手術で切除したことを、たとえ忘れた形で生活していたとしても、それで問題が出てくることは、無い、っていうくらいには、まあ、影響が少ない。もちろん、妊娠出産を考えている年齢を通り過ぎておられる方の場合、だけれど。

長くなったのだけれど、結局、癌の疑いがあります、っていう話を、どう医者が考えているか、って話をしようと思うと、つまり、話が長くなる。

 

占いじゃないんだから、断言はできないのよ。

♩君の心がわかる、とたやすく誓える男に

♪なぜ女はついてゆくのだろう そして泣くのだろう

 

中島みゆきさんの、「空と君のあいだに」1994年の歌に、こんな歌詞がある。

どうして、そんなにたやすく誓えるのか、ってところは、最近、わたしはわかってきた。つまり、「言葉に責任を取らない」から。つまり、たやすく誓える、っていうことだけで、この人は本当に責任を取るつもりがない、っていうことになる。

でも、瞬間の話をすると、責任取れるの?って詰め寄ったら、「責任とる」って、こういうタイプの人の方が、真顔で断言できたりする。彼らにとっては、それは嘘でもなんでもなくて、その瞬間だけに生きていて、その瞬間は「責任とる」つもりなんだろうから。

医者になる、って話をここで持ってくるのもちょっと違うのかもしれないけれど、医者になるっていうことは、その瞬間にはそう思いました、でも次の日にはちょっとまた違った思いでした、なんていう、矛盾がでてくる言動は「やりづらい」ってことになる。時々、政治家でも言動の矛盾を指摘されても「困らない」方があるけれど、あれは知性を使って仕事をしている側からすると、極めて「やりづらい」。知性を使っているっていうことは、極力矛盾のない、首尾一貫した言動を求められている、っていうことだから。

だから、責任取れるの?って詰め寄られたら、目が泳ぐわけで。それを「無責任だ」っておっしゃる、その気持ちは、うん。わかる部分もある。

でも、その瞬間には「責任を取る」つもりだった、なんていうのを、あまり深く考えずにあちこちで空手形を振り撒くことは、やって来れなかったし、やってはいけないことだ、と、わたしたちは教え込まれている。だから、いろいろ予防線を張る。

予防線を張ると、「こういう可能性があったりします」っていう可能性を数え上げることになる。リスクを全部説明する、っていう話になってくる、と、けっこうその中には怖いことが起こったりする、って書いてある。

そんなに怖いことが起こるんだったら、手術なんて受けない方が良かった、って思う人もあると思う。うん。実際にわたしも、自分の患者さんで、手術の翌日に急変した、っていう方もあるし、症状緩和の処置をしている最中に心肺停止して、蘇生した、っていう方もあった。たぶん、どちらの方も、その時それをしていなかったら、もう少し長く生きられたんじゃないか、って思う。もう少し、っていうのが、数日単位の話であったかもしれない、くらいではあったけれど。

だから、手術や処置が有害なんだ、と、こういうエピソードをつかまえて、おっしゃる方もあるのかもしれない。「こういう危険があるから、手術はやめておいた方が…」って話をされる方もあるのかもしれない。けれど、わたしからすると、そうじゃない。やっぱり医療っていうのは、ある程度のリスクがある行為なんだ、っていうこと。そして、そのリスクを取って、えいっ!って治療を受けることで、元気になっていく可能性が開かれる、っていうことなのだから。

人間、人生の岐路で、それぞれの選択肢を選んだ場合、っていうのを同時にたどることってのは、できない。だから、治療を受けるとか、受けないとか、っていう判断も、どこかで納得しつつ、どこかで、ある程度の諦めが混ざりつつ、ってことになるんだろうと思う。

医療行為は、緊急性が高いものはともかくとして、普通はどんなことでも同意が必要になる。書類を作成するかどうかはまあ、また別の話になるけれど。

なんなら、救急車だって、乗ってください、って言っても、ご本人が拒否されると、空で帰ることになる。もちろん状況によっては、一生懸命ご本人を説得するわけだけれど、できるのは説得くらいまでで、強制はできない。

しかも、医療者って、わりと忙しい。ほかの患者さんも待っていたりするから、ひとりの方に無限の時間をかけて説得する、っていうことはできない。だから、ご本人が拒否されるなら、あとは、仕方ない。

「手術しなくていいよ」ってたやすく断言してくれる人が、どこかにいるんだったら、その人の言葉にすがりたくなることだって、あるのかもしれないし、そういう人を医療の文脈の中で、どうにかできる、っていうことは、無い。

でも、医者は、そういう断言が、「できない」のだと思っていただいたら、多分、良いのだと思う。その「どっちつかず」が嫌い、っておっしゃるかもしれないけれど、そういう表現を使う人種だ、と思って欲しい。面倒くさい話をして、お高くとまりやがって、って思われるかもしれない。うん。面倒くさい話だと思う。できることなら、そういう話に巻き込まれないまま、一生を済ませていただきたい。

でも、まんいち、運悪く(日本人の3分の1が癌で死亡しているわけで、ある程度の確率でそれは起こるのだろうけれど)癌の治療が必要です、っていうことになったら、できることなら、その面倒くさい話につきあっていただいて、「標準治療」を受けてもらいたいと思う。それが、いちばん生存率が高い治療法だ、ってことになっている、というか、いちばん生存率が高くなる治療法を「標準治療」として設定して、そう呼ぶようにしているから。