#43 ストレスについて

nishi01

ストレスってなんだろうってことを、ちょっと考えてみたい。

なにかからだの不調があって、でも、いろいろ調べてみても、あまりはっきりした原因が見つからなかった時、「ストレスでしょうかねえ」とか「ストレスですね」とか、って言うことがあったりする。する?私の場合はだいたいは、患者さんがそういう風に言ったとか、他のクリニックや病院でそう言われた、とかってことが多い。

ざっくりストレスが…ってのは、これも「ホルモンバランスの乱れ」とか「自律神経の異常」みたいな表現と一緒で、よくわからんので、ひとまずそう言っておこう、的な部分がけっこう、あるように思う。被害妄想(害されているわけじゃない!)なのかもしれんけれど。

妄想で思い出した。昔わたしにも若いころがあって。大学生をしていたときのこと。あれは教養科目で、教育学のゼミだった、と思う。「妄想っていうのは、だれかに付け狙われている、とか、危害を加えられそう、とか、そういう「危険だったり、不幸だったりする」ものばっかりだけれど、どうして幸福な妄想っていうのは無いんだろうか」って、ゼミで先生がおっしゃったのだった。ちょっとしばらく考えて、「しあわせだったら、誰かに訴えなくって良いから、じゃないですかねえ」って返事をしたのだった。
しあわせな妄想に入ってしまっていたら、たぶん、ニコニコしながら(傍目からはニヤニヤに見えるのかもしれないけれど)誰に理解されなくても、それを共有する必然もなく、機嫌良く過ごすことができる…だろう。まあ実際には、そんなうらやましい妄想を作り上げられる方も多くないのだろうけれど。

ストレスの話だった。孤独がストレス、なひとも居るし、他人と一緒にいることがストレス、なひともいる。妄想がストレス、なひともいるかもしれないし、ストレスで妄想、のひともいるのかもしれない。…っと混ぜっ返しても仕方ないのだけれど。

ストレス、っていうものを、医療の文脈の中でいちばん最初に用いた学者はハンス・セリエ(Hans Selye 1907−1982)…だと思っていたけれど、いまウィキペディアを見てみたら、(ストレスの項https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9_(%E7%94%9F%E4%BD%93)# )セリエの前、1914年にウォルター・キャノンという生理学者がこの単語を、現在用いられる意味合いで使っていた…らしい。おおおう。ウィキペディアも時々嘘が書いてあったりするからこの辺、鵜呑みにはできないのだけれど。

まあその後、セリエが出てきて、1936年にストレスを「外部環境からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反応」と定義した、ってことになっている。ウォルター・キャノン氏の影響を受けていたらしい。なるほど、ここつながってたのね。

しかし、このセリエの定義、微妙にわかりづらい。ストレス、っていうのは、「外部環境からの刺激(=ストレッサーって呼ぶ。ストレスの原因的なもの)」によって引き起こされた「歪み」、ではなくて、その歪み、によってさらに二次的に引き起こされた反応のことを言う?ってことになっている。

いまひとつよくわからんので、ちょっとそこを措いて、先に進むことにする。えええ?そんな肝心なところ、先に進んで大丈夫なの?って思うかもしれないけれど、で、どういう状態が発生しているの?ってのを具体的に書いてあるところまで読み進んでから、もう一度定義に戻ってみる、っていうのはしばしば有効な方法だったりする。ということで、ちょいと「ストレス」の定義は微妙になったまま、なんだけれど、議論を先に進めてみよう。

セリエ博士が見つけた「ストレス」っていう反応はなんだったのか、ってのが書いてあるのだけれど、「副腎皮質の腫大」「胸腺(などのリンパ器官)の萎縮」そして、「胃潰瘍あるいは十二指腸潰瘍」っていうのが、並んでいる。個々人にとっては様々な「ストレッサー」へのわりと慢性的な暴露の結果として、原因はともかく、結果が似たようなところに出てくる、ってことを指摘した、っていうのがセリエの「ストレス」っていうことらしい。まあ副腎皮質が、とか、胸腺が、とか、あるいは潰瘍が、みたいな話なので、よっぽど慢性的、かつ強度なストレッサーによる影響だったのかもしれん。
で、この「いろいろな経緯を踏まえた上で、ここに出てきた副腎皮質と胸腺の反応とか、あるいは胃潰瘍とか」ってのを「ストレス反応」ってことにしている、わけだろう。

非特異的って書いてあるけれど、それは、つまり、「騒音がうるさい」であっても、「借金取りがやってくる」であっても、あるいは「慢性的に身体のどこかが痛い」であっても、それらに直接的には関係なく?たとえば「胃潰瘍や十二指腸潰瘍」が出てくる、っていう部分だろうねえ。なんとかの一つ覚え、みたいな話になってくる。

で、この慢性化するまでの状態を分類していて、「警告反応期」「抵抗期」「疲憊期」と呼ぶらしい。最後のやつは「ひはいき」と読む。疲労困憊した状態、ってことなんだろうけれど、疲弊(ひへい)ってのとはちょっと違うらしい。

つまり、なんかストレッサーと出会った時に、反応するのが「警告反応」で、その後、慢性的なストレッサーとの付き合いを頑張っている時期が「抵抗」してるっていうことだけれど、やっぱりストレッサーが継続してやってきていると、どこかで抵抗する余力が無くなってくる。こうして、余力が無くなってきた状態を疲憊と呼ぶってことなんだと思う。

うーん。最近の「ストレスですねえ」っていう物言いから考えると、ずいぶんハードだなあ。

ちなみにPTSDのSがストレスだったし、慢性化するまでの間を「急性ストレス障害」(トラウマになる圧倒的な出来事(外傷的出来事)を経験して間もなく始まり、1カ月未満で消失する、日常生活に支障をきたす強く不快な反応。症状が1カ月を超えて持続する場合は、心的外傷後ストレス障害(PTSD))と呼ぶらしい。https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E7%97%87%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%96%A2%E9%80%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3/%E6%80%A5%E6%80%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%9A%9C%E5%AE%B3-asd

まあ、日常的に用いられるようになると、けっこうカジュアルになってくる、っていうのはどんな言葉も同じような運命をたどるのかもしれない。ハラスメント、なんて単語も、昔はかなりキツいことにしか使っていなかったけれど、最近は「嫌だと感じたらハラスメント」的な、比較的軽い使われ方に広がってきている。

ちなみに、ストレスっていうのは、物理用語でもあって、日本語だと「応力」って翻訳されているけれど、そちらは「物体の内部に生じる力。物体の変形や破損に対する負担の大きさを検討する為に用いられる」って書いてある。内部に発生している、なんらかの力、ってのをストレスと呼ぶのね。

だから最近の日本語で言う「ストレスがある」っていうのは、厳密な言い方をすると「ストレッサー」がある、って話になるのだろうけれど。「あいつの存在がストレス」じゃなくて、「あいつはストレッサー」って言うのか。うーん。微妙にめんどうくさい。やっぱりストレスがある、でいいや。

…ってなことで、経緯はともかく、かなり身体が頑張って反応・対応しておかねばならないような慢性的な刺激になりかねないものを「ストレス」って呼ぶわけで。ストレッサーだよ!って混ぜっ返したいけれど、話が進まないので、ざっとそれも「ストレス」って呼ぶことにしよう。セリエ博士が言ってたストレスのことと区別するのには、こちら(元祖ストレス)は「ストレス反応」って呼べば良いのだ!

あ。ちなみに、胃潰瘍の話はとっても興味深いのだけれど、ストレスだけでは胃潰瘍にならない、らしい。ピロリ菌の存在が必要なんだってさ。ピロリ菌が存在しているところにストレスがあると胃潰瘍を発生するんだ、って、これは阪神大震災の時くらいに、整理して報告したのが、その後消化器内科の教授になっていた方(肝炎ウイルスと肝臓癌の話で登場されてます…私がツッコんだ時に絶望したような表情されてた先生…)だったそうな。まあ、生体の防御反応が低下する、っていうのはストレス反応の一つとしてあるってことなんだろうけれど。

ストレスの話をしていると、ストレスに対処する方針として、「闘争・逃走反応」ってのがある。これもうまいこと「とうそう」を掛け詞にしているわけで、ダジャレかよ!って言いたくなるけれど、上手に表現していると思う。

戦うか、逃げるか、って話になるけれど、これ英語だとFight-or-Flight-response ってことで、どちらもFで始まる単語になっている。この辺揃えられるのもすごい。さらに言うなら、英語だとFreeze (かたまる) ってのもあって、恐怖に直面したときの動物の反応ってことになっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%98%E4%BA%89%E3%83%BB%E9%80%83%E8%B5%B0%E5%8F%8D%E5%BF%9C

人類の歴史の中で考えると、われわれの生活が文明化してきたのは本当にごくごく最近のことでしかなくて、長い間、野生に生きていた人類は、生きるか死ぬか、って場面がけっこうあったんだろうと思う。マンモスに追いかけられた、とか、サーベルタイガーが襲ってきた、とか。で、そのたびに文字通り必死に闘ったり、必死に逃げたりしたんだろう。つまり、この「闘争-逃走反応」ってのは、そうやってわれわれの先輩が積み重ねてきた成功体験であるわけだ。だから、ヒトの身体にはそういう反応を起こす機構が抜きがたくセットされている。

ところで、ストレスもカジュアル化してきている、って話をしたのだけれど、最近の生活の中では、滅多なことで、マンモスから逃げるような場面っていうのは出会わない。雀鬼って呼ばれた桜井章一氏はヒリヒリするような危険な場所に身を置くことを好んでおられたので、サメがわんさか居る海で海水浴をしたり、ってエピソードも残っているそうだけれど、まあ普通の日本人が都会で生活していて、身の危険を感じるのは、自動車が暴走してきた、くらいの話かもしれない。

とはいえ、そういう「安全」が当たり前になった私たちは、うっかり、生死にかかわらないことに「ストレス」を見いだしたりする、わけで。
安全だから、なのか、それともさかなクンがおっしゃるイジメの理由みたいに「狭い水槽に閉じ込められたから」なのか、はわからないけれど。

もともとは、必死になる場面で使っていた、そのストレス反応を、たぶん、うっすら、使っているんだろうと思う。火災報知器のボタンなら、ぐいっと押し込まないとならないけれど、いわば火災報知器のボタンを半押し?しているような状態、ってのが出てきている気がする。副腎皮質から分泌されるストレスホルモン(いわゆるコルチコステロイド)を、ほのかに分泌することで、自分自身のパフォーマンスを一時的に上げる、ということをやっている、のではないか、って思うことがある。

その時に想定されるストレッサーって何だろうねえ…と、考え始めるとキリはないのだけれど、ほんのり慢性的なストレス、っていうのが、現代人の状況を言い表す上では、わりと近い表現なんじゃないか、と思う。
もちろん、ほんのり、とは言っても人によっては濃淡があって、けっこうキツいと、やっぱり胃に穴があいたりすることだって珍しくない。

まったくもって私の妄想でしかないのだけれど、昔の「緊急事態」っていうのは、わりと短時間で勝負がついたでしょ。ひょっとすると、そこで上手いこと逃げ切れずに死んでしまったりした人も多かったのかもしれないけれど。今は「火災報知器のボタン」の半押しをずーーーっとやっているけれど、勝負がつかないまま、っていう状態で宙ぶらりんになってしまうことが増えたんじゃないだろうか。

半押しとは言え、やっぱり緊急事態だ!って言い続けているのは間違いないわけで、それで出てきたホルモンをうまいこと使って、頑張れるようにしている、のは、たしかにそうなんだろうけれど、これ、やっぱり緊急用のシステムだからねえ。あんまり長いことは持たないんだと思うよ。

で、いろいろ不調がでてくる。まあ緊急事態に、体力の前借りしていたりするわけでさ。どこかでその前借りしていた借金みたいなものを返さなきゃならんのよ。

たぶん、利子もけっこう大きいんだろうと思うのだけれど。ずーっと借金を繰り返す、っていうわけにもいかないんだよ、きっと。

で、借金を返す、っていうか、我にかえって、気がつくと、「前借りしていた体力分」の体調不良と、それから、「無理していた時に身体にかかった負担」っていう体調不良と、「無理していたときに見ないようにしていた不調」っていうのが思い出したように出てくる、っていうことになるから、さ。そりゃ、しんどいことになるよねえ。

でもって、そのしんどいのをごまかして動く、っていうことを「また」やったりすると、さ。そりゃ借金は雪だるま式に大きくなるわけで。

きっと、そんな形でストレスって、身体をむしばんでいくんだろうと思う。

実際になにが起こっているのか、っていうのはまあ、人それぞれだけれど、みぞおちの部分に「太陽神経叢」ってのがある、って昔は言われていた。現代の解剖生理学的には、あまりハッキリした神経の集まりは確認できていないから、太陽神経叢っていうのは否定的だったりするのだけれど、それでも、胸椎の8、9,10くらいのところあたり、の神経がけっこう集中している場所ではある。

この太陽神経叢っていうのは、(無いっていったじゃん!いま!)不安や恐怖に対応して緊張する場所で、だから、けっこう不安や恐怖があると、みぞおちのところが硬くなる。ここが硬くなると横隔膜が下がってくるのが不便になるので、呼吸が浅くなるし、胃が食事をしたあとで、壁を引っ張り伸ばして食事したものをしばらくとどめておくのだけれど、そういう事もけっこう難しくなったりする。

きっと緊張が伝わっているんだろうとおもうのだけれど、実際にどういうことが起こっているのかはわからない。

まあ、胃の筋肉が緊張していて、食事しても胃壁が広がりにくくなっている、っていうのはたとえば機能性ディスペプシアってそういう状態だと思うのだけれど、これには六君子湯がよく効くらしい。胃壁の伸展に有効なんだって。六君子湯。あれ?人参が、だったかな?

漢方・中医学的には一般にストレスですねえ、っていう部分を「肝気鬱結」って呼ぶことが多い。もちろん、単純にストレスと肝気鬱結がイコールで結ばれているわけじゃなくて、心理的なストレス状態っていうのは、漢方・中医学的には、肝気鬱結っていう形で呼ばれていたものによく似ている、というか、ストレス状態の一部に肝気鬱結の病態が当てはまることがある、ってことだろうと思う。

肝気鬱結に効く処方、っていうのも、それなりにはあるのだけれど、疏肝っていうのは、わりと難しくて、定型的にこれこれをやったら大丈夫、っていうのが、あまり無い。むしろ、本人の気分が伸びやかになるなら、どんなことをやっていてもかまわない、くらいの話もあって、定番って言うのが無かったりする。

現代がストレス社会って呼ばれることはあるのだけれど、こういう慢性的なうっすらストレス、みたいなのが続いているっていうのはあるんだろうと思うし、肝気鬱結の話で言うなら、やっぱり目の使いすぎは肝気を消耗させるから、消耗した肝気をそれでも使おうとすると、うっかり鬱結させやすくなったりする。これは、典型的に現代に出現したスマホとかパソコンみたいなものが、肝気鬱結の原因としては新しい一方で、けっこうなストレス要因になっている可能性がある、っていうこと。

だから、じーっと画面をみつめているんじゃなくて、時々身体を動かしてみたり、目の体操をしてみたり、っていう形で気分転換をすることがとっても大事。

その他のところで言うと、無意識の緊張がつくりだしたあちこちの筋緊張だろうねえ。

こういうのが続くと、やっぱりいろいろ不調につながるから、身体を動かす、っていうのもやっぱり大事になってくるし、動かすだけじゃなくて、ちゃんと上手なメンテナンスとして、ストレッチとか、マッサージなんかもやってほしいと思っている。

身体の状態がストレス状態だと、やっぱりか!って再びストレス状態に入り込みやすくなったりしそうなので、全身の筋緊張をほどいておく、っていうのもストレスへの対処としては悪くないんじゃないかと思う。