漢方と五臓の話をちょっと、するね。西洋医学の医者で、漢方やってるわたし(にしむら)が、五臓ってのをどういう感じでとらえているのか、っていう、雰囲気が伝わったらうれしいな、って思うので。
五臓ってのは肝・心・脾・肺・腎、の5つ、っていう形になっている。西洋医学的な解剖で見る「これが肝臓」「これが心臓」っていうのとは、ちょっと違う、っていうか、西洋医学的な解剖で、出てきた臓器に、もともとあった言葉を当てはめた、っていうのが多分、近いんだろうと思う。だから、五臓論を英語で議論するときに「ここで話題になっているLiver (五臓論の肝)はliver(西洋医学的な肝臓)とは違う」みたいな、ナゾの文章を書いたひとがいるらしい。「Liver is not liver」だってさ。そりゃ本当に意味不明な文章にしかならんのよねえ。
とはいえ、『解体新書』とか『蔵志』みたいな本が出版される前の伝統的な医学の中で、だって、ある程度は解剖学的な情報は入っていたはずで。だって、中国で、ブタの解体とかするでしょ。だいたいは、そういう雰囲気で、それぞれの臓器がどんな仕事をしているのか、みたいな想像をつけていたんだろうと思う。
まあ、ピラミッドやミイラを作っていたエジプト人たちは、脳のことを「はなみずを製造する臓器」って信じていたらしいから、どこまで妥当性があるか、ってのは、ねえ。観察と理解の前に、ヒトという存在に対する解釈みたいなのが入るんだろうかしら。
そんな、はなみずを製造する臓器…脳、って、そういえば、漢方の五臓論でも出てこない。どうしてなんだろうねえ…?って話になるとは思うのだけれど、最近の中医学では、わりと理論に取り入れたりしていることもあるらしい。
脳も場所によっていろいろ働きが違うから、一概には言えないのだけれど、その中心部に視床下部とか脳下垂体、っていうところがある。内分泌の中枢みたいなことをやっているのだけれど、まれに、ここ(下垂体)に腫瘍ができることがある。だいたいは、プロラクチンっていうのを作る腫瘍だったりして、妊娠出産していないのに、乳汁が分泌されてくる、とか、あるいは、局所で大きくなると、視神経を圧迫することで、特殊な形の視野欠損が発生するとか、っていうことで「治療が必要だ!」ってなることがある。
下垂体ってのは、目の奥のところ、脳の一番下側に「ぶら下がって」いるので、下垂体、なのだけれど、ここを狙って手術するのを発明したのが「ハーディ先生」。ちらっと前にも書いたのだけれど、鼻の穴から目の間を通って、たどり着く、っていう道を切り開いた。
すごいよねえ。やっぱりそういう天才がいるんだろうなあ、って話になるのだけれど。
なんでそんなに長々と脳下垂体腫瘍の手術の話をしたか、っていうと。ここの手術をしたあとの方が、腎虚の状態が結構強く出る、っていう臨床の経験をしたから。
五臓論で言う、腎の気が足りない、とか、精が足りない、とかっていうのを腎虚って呼ぶのだけれど、それに近い病態ってのが、脳の手術を受けた方に出る、っていうのは、中国でも割と言われていること、らしい。
そうか。「腎」の働きは、脳にその一部があったのか…って思うのだけれど、副腎ってのが腎臓の上にはついていて、ここは内分泌臓器なんだよねえ。で、いわゆるステロイドホルモンを分泌している。「副腎皮質ステロイド」って呼ばれるやつ。アドレナリンとか。こういうホルモンって、まあ、元気が出る、っていうことになるわけだから、その上流の(直接の情報のやりとりは無かったと思うのだけれど、そうは言っても内分泌関係の重要な拠点になっているっていう意味で上流って呼んでしまうことにする)脳下垂体が影響されたら、変動がでるのも、あながち間違いじゃないんだろうなあ、って思ったりはしている。つまり、腎虚って、元気が出ない、とか疲れやすい、とかっていう形で出てくることがある、ってこと。
一昔前は、民間で腎虚って言ったら、それが意味するのは本当に1つだけでさ。つまり男性の、男性機能低下の話だった。最近はあまりそういう言い方をしなくなってきたけれど、落語の中には「若い妻を迎えてから腎虚になりまして…」みたいな言い方で、出てくることがあった。なので、腎虚って聞くと、どうしてもそっちが頭に浮かぶことが多い、ってのは、これは古い人間の偏見。
偏見ついでにいうと、成人文学の中には「気をやる」って表現があるんですよ。で、昔は「気」ってもっぱらそういうところで使っていたらしい。なので、野口整体で「気をうんたらかんたら」って話をすると、本当に多くの方が誤解された時代があったらしく、「最近はそういう表現が減ったので、気の話題を出しやすくなった」っておっしゃってるのを聞いた。
腎虚の場合には、他にも冷えやすい、みたいな時に使ったりするよねえ。こういう腎虚で冷える、ってなると、附子を使ったような処方を選ぶことが多い。附子がどうして、腎虚を補うのか?って話になると、これまた難しいのだけれど…神経には作用して、痛みをとったり、しびれをとったりすることもあるから、まあ何らかの働きがあるんだろうなあ、って思う。分子生物学的な作用機序がわからない漢方薬の方が多いけれど、それはそれとして、臨床ではうまいこと使えているから、まあそれで良いのかもしれない。
五臓論をつかった漢方理論で説明されるヒトの生理的な機能と、西洋医学の分子がどうとか、臓器がどうとか、っていう生理学の機能を見比べつつ、この辺はこれに似ているよねえ…みたいな話をすると、例えば、五臓論の脾の働きは、どこか、西洋医学的な話で言うなら膵臓と関係がありそう。消化吸収して、血糖値を下げるとか、血糖を身体に固定していくとか。
五臓論的な脾の話をすると、脾ってのは、「土」の属性を持つってことになっていて、これが、身体の土台だ、って意見があるのだけれど、近年、腸内細菌叢の研究が進んでくると、いろいろな病気と、腸内細菌叢との関係が言われるようになってきた。で、これにも漢方薬が関わってくることがあって、診療で脾を補うような処方を続けていると、腸内細菌が落ち着いてくるというか、善玉と言われるような菌が増えてくる、みたいな報告もあったりする。
五臓論で言う「脾」っておおよそ「胃腸のはたらき」のことだったりするから、そうか。なるほど、って思うのだけれど、そういえば、昔、同僚の先生が、性腺ホルモンの分泌が足りなさそうな方に、小建中湯を処方してみたら、ずいぶん良くなった、みたいな話をされていた。小建中湯っていうのは、わりと子どもの病気に使うことが多いらしいのだけれど、胃腸を育てる、的な意味合いが大きいのかもしれない。
野口晴哉先生も「子どものころは、ひとのあり方としては胃腸型パターンの現象が起こりやすい。こうやって、胃腸を育てることから始まるのだ」みたいな事を書いておられたりするので、やっぱり胃腸が大事、ってことになるんだろうと思う。
そして、腸脳相関、なんて言葉もある。腸管がつながっている神経と、脳神経とがやりとりをしている、っていう説だったか。胃腸の状態と、精神活動とはやっぱり何らかの関係を持っている、らしい。そりゃお腹減ったら気分落ち込みやすくなるもんねえ。影響はあるのはわかるような気がする。
話は戻るけれど、じゃあ、腎虚の方に、胃腸=脾を経由して、腎を支える、ってのは、わりと遠回りな気がしている。
もともと五臓論の腎は「先天の気」って言われるものを蓄えている場所、ってことになっていて、脾は「水穀の気」を受ける場所、ってことになっている。これらの先天の気と、水穀の気は、まあ、お互いに多少は融通がきくんだろうけれど、両方が同一のもの、とは言いがたい部分が残るんじゃないだろうか、って思う。
で、先天の気、だから、両親からいただいた、体質的な部分も、「先天の気」に含まれる、って話だってある。遺伝子的な部分もこっちかねえ…まあ難しいところだとは思う。
漢方薬とか、鍼灸とかで、どのくらい、そこが補えるのか?ってのは結構厳しい話になってくるのかもしれないけれど、とはいえ、漢方薬が入っていくのはやっぱり消化管なわけでさ。脾を経由しないで、漢方薬を効かせましょう、って、いったいどこからどうやって入れるんだ?って話になるし、漢方の薬によっては、やっぱり腸内細菌との関係が言われているものもあって、腸内細菌が働いて、薬の成分を代謝するからこそ、その後有効性が発揮される、なんていうのも結構あるらしい。そういう意味でも腸内細菌は結構影響が大きいんだろうと思う。
脾が水穀の気を受ける場所、っていうのは、まあ、食べたものを消化吸収します、っていうことで良いと思うのだけれど、消化吸収にも腸内細菌叢は多少なり影響しているらしい。あとは、消化吸収して、今度は血に転化していくわけだけれど、こういうタイミングではしっかり睡眠をとってもらうのが大事、ってことになっている。この辺は五臓というより、気血理論の方になるんだろうけれど。
五臓と言いながら、ここまで脾と腎の話だけで終始してしまった。
じつは他にも肝・心・肺があるのだけれど、産婦人科領域の漢方をやっていると、もっぱら臍から下の話になりがちなので、脾と腎の調整ができたら、おおよそそれで半分くらいは済んでしまう。どうしても肺とか心とかは苦手、というか、あまりご縁がなかった。
残るのは肝、なんだけれど。ここはまたいろいろな病態がある。
五臓論の肝ってのは、結構いろいろな働きを持っている。性質としては「木」の配当になっているから、本来はのびのびとする、っていうのが肝の作用なんだけれど、これが上手くいかないと、鬱結する。「肝気鬱結(かんきうっけつ)」って呼ぶんだけれど、まあ平たく言うとストレス状態のことをこんな表現したりする。
五臓論って、単純に色や五行を配当しているだけじゃなくて、それぞれに影響があってさ。
相生とか相克って言うんだけれど、隣同士は「親子」の関係なわけ。だから、肺の調子が悪い人の脾を補うと、その気が肺に入って、ちょっと良くなる、みたいなことがある。
肝だと、相生は心に行く形になるから、ストレスなんかで肝に負担がかかる、肝気鬱結すると、やっぱり心も負担がかかる、ってことになるんだろうねえ。
ここにも脾がでてくるのだけれど、脾虚があると、相克の関係で、肝に負担がかかる。胃腸の調子が悪い状態(脾虚)が続いていて、それでも無理して頑張らなきゃ、ってなるとストレス(肝気鬱結)状態になるんだけれど、脾虚肝乗(ひきょかんじょう)ってのがわりと典型的なパターンとして出てきやすくなる。
こうやってふたつの臓にまたがる形の不調になってくると、結構診療していても、大変になってくる。なんだろうなあ。火事が広がって、となりの家も燃え上がっている、みたいな感じの印象かもしれない。
肝気鬱結して、それでも頑張るとだいたいは肝血を消耗するのだけれど、この肝血ってのは、たとえば、目を使いすぎると、そちらでも消耗する。だから、現代人、スマホとかパソコンとかって、目の酷使があって、そこにやってきて、テクノストレスだとか、会社の人間関係だとか、っていうストレスが重なって、っていうのが続くと、あっという間に肝気鬱結してしまうことになりやすい。
ちなみに、更年期障害的な部分の診療をしていると、病態としての肝気鬱結を引き起こしやすいタイプの患者さんってのが、時々いらっしゃることに気づく。こういう方を「肝気鬱結タイプ」って私はこっそり呼んでいるのだけれど、面白いくらいに、毎回診察室で、いろいろ「あれがつらい、これがつらい」っておっしゃる。
漢方の処方をして、いろいろ調整して、次の外来でも「あれがつらい、これがつらい」って。
いやお薬処方したでしょ?内服した?したの?じゃあ、その薬って効いたの?って根掘り葉掘り、その部分を訊くと、意外と効いているみたいで、その時の症状は軽減していたりするのよ。
で、「もうそれは良いんです。今はセンセ、これがつらいのよ」って。どんどん「新しい」つらいことを見つけては、それを訴えていらっしゃる。こういう肝気鬱結のタイプの方は、どちらかというと舞台女優さん的な雰囲気があって、世の中に出てくるとそこはその人の舞台(なので、多かれ少なかれ、演技が入るということと、結構な緊張をしているっていうことがあるんだろうと思う)なのよ。きっと。まあ、あなた女優だもんねえ…っていうお返事をして、処方については、あまり毎回の訴えに振り回されないように「それでもこの部分はよくなったでしょ」ってことを確認するようにしている。
肝気鬱結ってやっぱり頑張っている状態だから、PMSとの関係とかってのもありそうだったし、やっぱり肝の気を抑えることでイライラを軽減させることもあるのだけれど、そこだけ抑えても、脾虚の方をなんとかしないと、いつまでも無理して頑張ることが続いてしまうので、最近はどうしても脾をなんとかする処方が優先になってきている。
遠回りするようだけれど、やっぱり胃腸の調子を整えて、しっかり食べられるようになっている、って大事…ってやっぱり脾に戻ってしまうんだよねえ。