#35 男女の産み分けって可能なのでしょうか

nishi01

知り合いのお宅は、男の子ばっかり三人とか四人とか。そういうところの「肝っ玉かあちゃん」みたいなご家庭も結構ありました。お産の時に、「男の子ばっかりで…次は女の子が欲しいけど…でもきっとまた男の子だと思う!」なんて妊婦さんもいらっしゃいました。

と思うと、別の家庭は、次々に女の子。お父さんが男性としては、家庭に孤立して、ムコがやって来た時に「やっとこちら側が増えた!」なんて話も聞いたりしました。あれ、一体何がどう、違うんでしょうねえ…?って思うのですが。

ところで、日本の統計をずーっと見ていただいたらおわかりかと思いますが、本当に不思議なことに、男女の出生比率って、だいたい1.1対1ってところから、あまり変動がないらしい。(出生性比って呼ぶらしいですねえ。女性100人の出生に対して男性がどのくらいの人数生まれるか。なんと最近は女児が増えてきて、男女で104対100くらいになってきているらしい。この女性100に対する比率ってことで出生性比とか人口性比って数字を使うことが多いみたいですね…。https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/final/pdf/01-03.pdf

ってことなので、少しだけ…最近は「ほんの少しだけ」ってなっているけれど…男児の方が、産まれるときには多い。で、その後男性の方が死亡率が高いので、途中で逆転する。人口性比はだから、100を割り込むことが結構あります。戦争の時はひどかったですけれど、そうじゃなくても、少しずつ減っていくので。

すごい不思議だと思うんですけど、一応、大数の法則っていうのがあって、ニューヨークで人が野犬に噛まれる回数って毎年ほぼ同じ、だったらしいですよ。そういう、なんらかの確率論的な話題って言うのは、十分に大きな数字で試行を繰り返すと、ちゃんと計算の通りの比率になってくる、っていうこと、らしいです。ってことは、基本的には五分五分のものを、どうやってあちら側か、こちら側に確率を引き寄せるか…って話ですよねえ。

丁半バクチなら、ほら、仕込みがとか、八百長が!みたいな話がありますけれど(いつの時代の話でしょうねえ…サイコロに鉛が仕込んであったとか、って話題出してももう、誰もそんな時代劇見たことないですよねえ…)神様がサイコロを振っているのか?ってのは、ねえ。本当に科学者はそういう議論をしてましたよねえ…。

ところで、昔、ハリソン・フォード?だったか、マイケル・ジャクソンだったか。アメリカの有名人の配偶者が妊娠したときに、胎児の様子をいつでも見られるように、って超音波エコーの機械を買った、なんて話題がありました。いまは、妊婦向けにレンタルしている会社もあるし(それはそれでどうなの?って思うのですけれど!)、ポケットエコーだと個人で買えないこともない金額になってきたので、時代は変わったなぁ、と思いますけれど、当時は大騒ぎでした。わりと高級外車1台分くらいのお値段はしていたはずですから…。

ただ、超音波エコーって、ほら、レントゲンみたいに被曝するわけでもないから、しろうとさんが使っても良いんじゃないの?って思っていたんですけど、ねぇ。(今でも一応、超音波による影響が無いとは言えないので、極力必要最小限にとどめること、っていう注意がされているはずですけれど…)病院で超音波エコーの機械を触っていたときに、「それぞれの国の法律に則った使用を守ること」って注意書のステッカーが貼ってあったんですよねぇ。

ずいぶん長いこと、意味がわからなかったんですけれど、たとえば、妊娠週数の早いうちに性別を見ることができて、希望しない方の性別だったらそこで妊娠をやめてしまう、なんてことだってできるんですよねぇ。うーん。出生前診断、って羊水検査とか、染色体だとか、そういう部分が大騒ぎされますけれど、実は超音波エコー検査って、その行為そのものが出生前診断になってしまうわけですよ。で、性別で選別をする、なんていうことに使われる懸念があるわけで…そういう目的に使われてはなりません、っていう注意書きなんだろうな、と思い至ったわけです。

ただ、産婦人科医の仕事として、慣れるまでは、赤ちゃんの性別を見分けるのも難しい。昔、先輩の同期の話で、聞いたのは、ことごとく判定とは逆の性別の赤ちゃんが生まれてくる、っていう先生がいらしたらしく。上司が、「ランダムに言っても、正解率は五割はあるはずなのに、どうして一生懸命に見て、さらに正解率がさがるのよ!」って怒った、って話は聞いたことがあります。

なんなら、ランダムじゃなくて、全部「女の子だと思います!」って言い続けてたら5割は当たってたのかもしれないですよねえ…胎児の性別を伝えたら、妊婦が落胆したとか、その母?義母?が「がんばればこれから変わるから!」って励ましてたとかって話も聞いたりしました。本当にエコーで確認していたのが正確であったなら、さすがにそれは無理でしょう?って話になるのだけれど、その辺がどのくらいまで、でしょうかねえ。わたしは、なるべくお伝えしない方針でした。妊婦さんが、「服の準備があるので!教えてください!」って言ったら、「じゃあ黄色いので準備しておいてください」ってお返事していました。新生児さんの産着なんて、別に男女兼用だし。男女がわかれてくる服なんて、落ち着いてからで全然間に合うってば。

中国には、男女比が偏った村があるらしいって話は聞いたことがあって、男の子ばっかりなんですって。あそこは本当に一人っ子政策やっていた時に、まだ男尊女卑の思想が残っていたりしたからでしょうかねえ。一人しか子どもを持つことができない、って言うときには、どうしても男児じゃないと駄目、みたいなことを主張した人たちがいたムラなんでしょううけれど。いったい、何が起こっていたんでしょうねぇ(すっとぼけ)。

最近、日本では「女の子が欲しい」っていう希望をされる方が多いらしいですから、時代が変わったというか、社会が違うというか…時代や社会が変わっても、人はそういう希望を垂れ流す、っていうことでしょうけれど。

そんな話ですが、まことしやかに伝わっているアレコレってのはちょっとあるらしいです。ってことで、私が学生の時だったか、研修医の時だったかに、産婦人科医の先輩から聞いた男女の産み分けの方法っていうのを書いておきます。ただし、今から考えると、どこにもそんな論文はないので、まあ都市伝説ですよねえ…。産婦人科医が都市伝説を伝えて良いのか?って話にはなるんですけれどねえ…。

男女の性別を決めるのは、性染色体なんだけれど、これはxとyがあります。で、卵子の方にはxが1本。こっちは確定している。女性の性染色体はもともとxが2本だから。男性の性染色体はxが1本、yが1本。で、それを半分に分けて精子になるときに、どちらかが入っている、っていう形になります(ときどきうっかり、きっちり半分にできないと、xが2つにyがひとつ、とか、xひとつにyふたつとか、そういう染色体の異常なんてのも、ありますけれど、まあそういうのはおいておいて)。だからxを持った精子が受精すれば女の子。yを持った精子が受精すれば男の子。

この精子、微妙に性質が違う、っていうのがその都市伝説。xの遺伝子の方が微妙に重たいので、「排卵のタイミングより前に、精子が受精の場所にやってきて、卵子を待つことができるのは、x」「排卵の直後にうまいこと走ってきて受精するのはちょっと軽いy」みたいな話があって。

で、男の子が欲しかったら、排卵を待ってから、の射精が良いとか、その時に、腟内の分泌物が微妙にアルカリ性になっている方が良いから、エクスタシーを得て、腟の中に分泌物を増やしておくと、良い。

女の子が欲しかったら、排卵のちょっと前に、腟内の分泌物は微妙に酸性の方が良い(セレクションがかかる)から、なるべくあっさりが、良い。みたいな話でした。

今でも「産み分けゼリー」みたいなものがあって、同じ理屈で説明はしているので、なんらかの「わりと上手くいくかも」っていう実感があるのかも、しれません。

ちなみに、不妊治療をすると、女の子が多い印象がある、って聞きました。それは、良い精子を選ぶために、円心分離をかけるんです。で、そうすると、重たいxの精子の方が増えるから。元気な精子を選ぶには、遠心分離して、かつ、その精子が浮かび上がってくる(スイムアップって言ってられましたねえ)ところまでやっておられたそうです。

なので、体外受精の時に「女児希望はわりと実現させやすいけれど、男児希望は、ときどき難しい」みたいな話でした。どこまでそういう人為的な操作していたのか、はわかりませんけれど。普通は男女の希望は聞かないままで不妊治療していたんだろうと思いますけれど、ほら、性染色体伴性の遺伝病なんてのもあるでしょ。そういう疾患持ちの方だと、因子が遺伝しないかどうか、みたいな心配をすごくなさったりするから、事前に選別する、っていうことが大事になることもあるよねえ、って話でした。

ところで。たとえば、すっごい期待していて、待望の息子が生まれたとして。その息子が、育ってきて、じつはゲイだった、とかってカミングアウトされたら? トランスジェンダーだ、ってカミングアウトされたら? いやカミングアウトされるんだったら、まだ十分に関係性が保たれているんだろうと思うけれど、そういうことを伝えてもくれないまま、本人が性別違和持っていたら?って考えると、親が、子どもの性別を、自分の好みで「選ぶ」っていうのはアリなの?って話になってくる。

この辺、受精卵で染色体異常がみつかったら、着床前に診断して、選別する、っていうことは体外受精の時には、技術的に可能になっているけれど、そういう選別の話の延長になってくる。

ひとは、どのくらい「自分の願った結果じゃないもの」を選別して「自分が願ったものじゃないから、これは受け取らない」っていう形で「捨てる」ことが許されるのだろう。許されるって、誰が、だれに?って話にもなるんですけれど、ねえ。

最近は、夫との性交渉が嫌で、でも、子どもは欲しい、っていう人が人工授精する、っていう話もわりと聞くようになってきました。人工授精は、いちばん原始的な方法だと、注射器の中に精液をそのまま入れたものを、腟の中に注入する、っていうのがあって。昔はそういう方法で妊娠したひと、ちゃんとお産できるのかしら?なんて大声でスタッフが喋ってたんですけれど…。

不妊治療がある程度のことができるようになってきました。卵子をひとの身体から外に出してきて、体外で受精が成立させられるようになって、その受精卵を、また、子宮に戻すっていうことをやる、って話になると、「もらってきた精子」と「もらってきた卵子」を、「借りてきた子宮」に移植して、「他人が」妊娠出産する、っていうことが技術として可能になってしまっているわけなんです。そうすると、いろいろなところで問題が噴出するわけでhttps://www.mishimaga.com/books/osekkai/004586.html 三砂ちづる氏はブラジルで、すでに1990年代にそのような筋書きのテレビドラマをご覧になっていらした、って書いておられますねえ。

最近は、子宮移植っていう話も現実味が出てきています。先天性の子宮奇形で、妊娠出産が望めない方の母親にドナーになってもらって、子宮を娘に移植して、そこで妊娠出産、帝王切開したら、子宮も摘出する、という流れ…のつもりのようで、サルなんかで実験が進んでいます。これもまた、いろいろややこしい話になってきている気がします。

わりと最近まで、日本の産婦人科の不妊治療については「不自然なことは1つまで」っていうルールでやってました。体外受精するんだったら、使う精子と卵子はそれぞれの夫婦のもの、みたいな縛りがあったので、卵子提供を受ける、となると、海外に行ってくるってことになります。海外に行って、どうして日本人の卵子が提供されているんだか、わからないんですけれど、ねえ(すっとぼけ)。

日本の民法では、父親の推定について、わりと乱暴な形で規定があります。

第七百七十二条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

なんですけれど、そういえば、性転換した男性が、結婚されて、配偶者の方が妊娠出産されたときに、子どもの出生届を出しにいかれるわけですよ。で、父親の欄にご自分のお名前をお書きになるわけですよ。もちろん。そしたら、市役所だかの戸籍係の受け取りの方が、受理されなかった…っていう話のようです。https://gladxx.jp/news/2013/12/3669.html

これが2009年のこと、らしいですが、最近は、性転換された女性が、性転換前に凍結保存していた精子をつかって妊娠出産された女性パートナー?の?父親として認知してもらいたい、っていう裁判があって…?みたいな話が出てきていました。こうなるとカオスですねえ。本当に。だったらあなた、性転換しないで、そのまま夫で存在してたら良かったんじゃないんですか?って思うのだけれど、それはそれで、違うんだろうなあ。https://www.jiji.com/jc/article?k=2024062100752&g=soc

うーん。まあ、ここは女性どうしのカップルの子ども、ですからねえ。夫とか父親が不在なので、そこを生きている、実際に関係のあるひとを家族として認知します、っていうのは、わりと子供さんの福祉を考えると大事な判断だったのかもしれないですねえ。

民法の話に戻ると、ちょっとわかりづらいでしょ。

ざっくり言うと、托卵されてても、よほどのことがなければ、父親はあなたよ、って夫に覚悟してもらう、っていう話です。というか、古い時代の『夜這いの民俗学』なんて読んだら、ムラによってそれぞれルールが違うらしいんですけれど、夜這いって夫公認だったりするんですよねえ。https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480088642/ で、そういう、ムラの中で生まれた子どもが、それぞれ居場所がきっちりあって、どこかの家にちゃんと収まっている、っていうことをするためには、「結婚している女性が妊娠したら、その子どもの父親は、結婚している夫、ってことにしておこうぜ」っていうのが一番穏当だったんだろうと思います。

ただ、後半の方は結構難しくて、DVの夫から逃げている間に、離婚したい、ってずっと言い続けるのだけれど、夫が承認しない、まま、別居生活が続いていて、みたいな状況で、別居している(もと)妻の生活をサポートしてくださる方(男性)が出現してくるとまあ、そこで妊娠してしまうこともあるわけで…みたいな話はしばしばあって。婚姻が解消されていないと、父親がDVしていた(もと)夫に推定されると具合悪いとか、届け出すると、それでDV(もと)夫が追いかけて来かねないとか、そういうこともあります。

女性が離婚してすぐに再婚できなかった、っていうのも、この辺の規定との関係があったんですけれど。

うーん。やっぱり難しい話ですよねえ。

夫と名乗る(けれど精子が無いことが判明している)人を父親と推定ないし認定するのか、ってのと、「女性(けれどかつては男性だったので精子を保存している)」が父親に名乗りをあげるのを認定するのか、ってのは、かたや「生物学的な事実は関係ない」って話をしていて、もう片方は「生物学的には!」って話をしているわけでしょ。矛盾がありますよねえ。すっきりしないなあ。やっぱり性転換したときに、性腺を除去するわけだけれど、残っている卵子や精子は破棄する、くらいのことしないと、スッキリしませんよねえ。

最近は、夫が亡くなったあとで、凍結している受精卵を解凍して、妊娠した場合の父親は…?みたいな話も出てきています。

それと、AIDのドナーが匿名だったときに、生まれてきた子どもが「自分の出自を知る権利」みたいな話も出てきていて。慶応大学の医学部生がドナーだったとかっていうんですけれど…こちらも、ジワジワと面倒くさい話になりつつあります。民間で「精子提供」っていう商売をやっている人もいるらしくって。これは、精子提供とは名ばかりの、避妊しない売買春じゃないか、みたいな話もあるんですけれど…。

こういう話の中に、どこまでモラルとか、倫理とか道徳っていうものが通用するのか、って、本当に試されているなあ、って気がします。

いや、卵子提供受けても良いじゃん、って話だってありうるし、そもそも男性も男性不妊があって、みたいなことも重なることだってあるでしょ。女性は女性で、卵管が詰まっているとか、あるいは手術で切除してしまっているとか、で人工授精では妊娠しないから、体外受精が必要なのはわかっている、とか。で、じゃあ、その時に、AIDみたいにドナーの精子じゃ駄目なの?って話になるでしょ。

なんで?なんで不自然なことは1個まで、なの?ってなりません?なりますよね?そうやって人は、自分の倫理の範囲を変化させているんだろうと思います。

昔、「その辺どう思うよ?」ってとある思想家に聞いたことがあります。彼の答えは、「だから私たちは、死ななきゃならないんだ」って返事でした。人間は、古いやつが死ぬから、だから、新しいメンバーが新しい倫理を築き上げることができるんだ、って。

その新しい倫理がよいものなのかどうか、ってのはわかりませんけれど。やっぱり倫理って、どこまで言っても、個人の中の感覚がもとになっているんだろうなあ。

精子バンクも卵子バンクもあって、カタログを見ながらそれらを選んで、で、代理母に妊娠出産させて…っていうデザイナーズベビーっていうのが話題になったこともありますけれど、それも、今の私が見ればグロテスクに見える話ですが、そうじゃない、それを許容する倫理っていうのもあり得る、っていうことなんでしょうねえ。

日本の不妊治療でも、長野県の根津医師っていう方が、減数手術っていうのをはじめられて。で、技術を公開されたわけです。双子でも大変ですけれど、三つ子とか四つ子とかが一時期多かったのですが、最近減ったでしょう。三つ子だったり、それより多いと、未熟児で生まれてくることが多くて、しかも同時に生まれてきますからねえ。NICUのベッドが複数必要になるんですよ。だから、なるべく、双子まで、できるなら、単胎って、ひとりが良い。っていうのを、上手いことそういう風に数を減らす方法がありますよ、って。あっという間に広がりましたよねえ。この技術。https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s9902/txt/s0204-2_18.txt 技術があって、公開されて、それならできそうだ、って話になれば、あとは、患者さんの希望があれば、できてしまう、ってことになります。

それが良いのかどうか、っていう話になるんだろうと思いますけれど、うーん。NICUの逼迫が軽減した、っていう部分をみていると、多胎妊娠を避けるようになってくれたのはありがたい、って話にしかならんのですよ。きれいな部分だけ見て、それで済ませていられるのかどうか、っていうことも、問題としてはあるんですけれどねえ。

そうやって「できること」が増えてくると、それになんらかのブレーキをつけないと、やっぱり暴走する、っていうあたりに、倫理っていうのが必要になってくるんだと思いますけれど、どこまでが「普通の走行」でどこからが「暴走」なのか、って多分、時代とともに変化してくるんでしょうねえ。難しい話ですけれど。