私が医学生だったか、研修医だったか、くらいのときに、湿潤療法というのが流行り始めた。
『傷はぜったい消毒するな』https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035136 が2009年の出版だから、ちょうどその前後、「新しい創傷治療」http://www.wound-treatment.jp/ というWebサイトで夏井先生という方が主張していた、のを見ていたんだろうと思う。
褥瘡にはイソジン+ショ糖の混合製剤である、ユーパスタが有効、みたいな話があって、ともかく滲出液を吸収して、乾かして…というのが「当たり前」だった時代に、「消毒薬っていうのは、つまり細胞にも悪影響があるのだから、感染が起こっていない場所に消毒薬を塗るのは不毛である」「局所に細菌が存在するといって、それを感染と決めつけてはいけない」みたいなことを結構がっつりおっしゃっていて、快刀乱麻を断つような文章に憧れたり、その実践をできる場所を探したりしていたところだった。
ケアハウスだか、特別養護老人ホームだったか、の入所者さんに、じゃあ、やってみよう、っていう許可を、責任者の先生からいただいて、消毒をやめたとたんに、褥瘡のポケットに滲出液がいっぱいになってきたのを見て、感動した記憶がある。あのまま滲出液が分泌されることで、細胞が増殖する培地になって、傷が治っていく…のかもしれない、って思うのだけれど。
湿潤療法という名前で有名になった、これは、今では巷にも広がっている。キズパワーパッドっていうのが、そういう湿潤状態を保ちつつ、創部を保護するような効果を持つものとして、市販されるようになった。こうやって、医学の中での当たり前が、仮説と検証によって、更新される。すげえ、医学の進歩って、こういう形で起こるんだなあ…なんて、当時の私は、感動していた。
一方で、例えば、古い看護師さんたちは、ご自身の経験を大事にされる。精神科の看護師さんと、褥瘡の管理について話をして、湿潤療法の話を持ち出したら「いや、先生。やっぱりね。褥瘡は日光浴が一番ですよ。日光にあてて、乾かすんです!」って強く主張された。ええええ?そうなの?って思いながらも、まあその時は具体的に褥瘡の患者さんがいらっしゃったわけでもないので、そのまま話としては流れていくところだった。私の記憶の中に、わずかばかりの引っかかりを残したままで。
ここで、ちょっと時代が流れるのだけれど。
フィリピンで貧しいひとたちに向けて、安全なお産を提供する場所を、とクリニックをやっておられた、冨田江里子さん、という方がいらっしゃる。たまたまご縁を頂いて、そのクリニックに訪問するようになった。現地で、医療の相談をされて、「あれはこっちが良い」だの、「それならこういう方法が」だの、という提案をいろいろやっていたのだけれど、傷を治していくのに、湿潤療法が日本ではトレンドだよ、っていう話をお伝えしたときに、「いや、先生、でもこっち(フィリピン現地)のひとたち、じくじくさせるの、すごい嫌うんですよ」ってお返事を頂いた。それまでの援助者も、日本の流れをお伝えする人たちが結構いらっしゃって、湿潤療法の噂も流れていたし、実際にやってみようか、って試みられたのだろうと思う。が、思ったより不評だった、らしい。うーん。まあ好みみたいなものもあるし、ねえ…なんてそんな話をして、無理強いしても、その後すぐに取ってしまうようなことをするより、彼らが受け入れられる方針が良いよねえ…って結論に至っていた。
現地の人たちが何も考えていない、って批判することはできるのかもしれない。冨田江里子さんも「お米を炊くときには、炊き上がるまで蓋をとってはいけないのですよ!」って思っていた(現地では、時々蓋をとって、炊け具合を確認するだけじゃなくて、場合によってはそこから水を足したり、あるいは蓋をとっておいて、水を早めに飛ばしたり、っていうことをやっている。日本の「赤子泣いても蓋とるな」の言い伝えとはまるで反対、らしい)。ところが、実際に現地のお米を、炊飯器で炊くと…場合によってかたかったり、柔らかすぎたりする、らしい。いろいろ試行錯誤した結果、結局、現地のひとたちのやり方が、最も適切だった、ということにたどり着いた、って話を聞いた。
傷の話も、ひょっとしたら、何らかの事情があるかもしれない…って痛切に感じることになったのは、現地で虫に刺された場所が、すこし、じくじくしてきたままで帰国したあとのこと。そりゃ、自分の皮膚の話ですから、湿潤療法をやっていた…わけなんですよ。ええ。そしたら、貼った透明テープの周辺に滲出液が漏れてきて、その漏れたところで、また皮膚の病変を作り始めたんですよ。つまり、感染がなにか起こっていた、っていうことと、滲出液が触れた場所で、新たに感染が発生した、っていうこと。
理由はわからないのだけれど、ひょっとすると、あっちの細菌の状況って、結構感染を引き起こしやすい菌がわんさか居るってこと?って考えてしまった。だから、うっかり閉鎖して、湿潤の環境にすると、どんどん感染がひどくなる。きっと、日本もそういう時代があったんだろうと思う。今は、わりと清潔な環境になって、皮膚感染を引き起こす菌が減ったから、湿潤療法ができるようになったけれど、それは、状況による、っていうことなんだろうな、って。
細菌の検査をしたわけじゃないから、厳密にそれを証明したわけじゃないけれど、現地の人たちは、生活の実感として、乾燥させた方が治りが早い、って思っていたんだろう。で、日本から持ち込んだ「理屈」が、現場にあわなかった、っていうことなんだろうと思う。医学の進歩、って、やっぱり、その技術を支える環境があってこそ、なんだよねえ。
私が研修医だったころには、下肢静脈血栓症の予防をきっちりしましょう!っていう意識が高まって、手術後には抗凝固療法をする、っていうのがすごく増えた。当時はまだ、それ専用の薬が発売されていなかったので、ヘパリンだったか、それによく似たような薬を使っていたんだと思う。
手術の時って、わりとあちこち、小さい血管も切断されて、でも、そういうところは、なんとなく圧迫している間に止血されたりしているのだけれど、ヘパリンは、止血した血栓を、時々溶解させたりすることがある。で。手術の後に、創部に血腫ができたりしていた。血腫の除去のための緊急手術っていうのが、結構しばしばあって、術中の記録をとるのに、写真を撮影したりしていたのを覚えている。
同じようなことが繰り返されると、やっぱり用心するようになってくるわけで、当初は「研修医には電気メスを使わせない」っていう方針だったのが、いつの間にか、君たちにも使わせてあげよう、ってことに変わってきて、気がついたら、血腫の除去手術っていうのが減ってきた。たぶん、術後管理の「抗凝固療法をする」っていう環境と、手術の技術がどこかでマッチするようになったんだろうと思う。
これが進歩だったのか、それとも単なる変化だったのか、はわからないけれど、しばらくしてから、風の噂で、「古巣のやり方をやっている先生が、今度は、創部離解を引き起こした」って話が流れてきた。あまりにも、しっかり止血をしながら手術をしたもので、完全に止血してしまったところを寄せておいても、傷がくっついて治る、ほどに血流が保たれなかったんじゃないか、って話になった。その施設は、きっと術後の抗凝固療法を、そこまで厳重にやってなかったんだろうなあ…って(詳細は知らないのだけれど)ぼんやり考えたことを覚えている。
ひとつの技術っていうのは、その前後の環境だったり、診療方針だったり、っていうのと、分けがたく関わっていて、単純に切り出して別の場所に持ち込むことが難しいのだ、っていうエピソードだと思っている。
夏井先生の話に戻ると、彼はその後、糖質制限食(こちら、提唱者は江部康二先生だったはず http://ebe-clinic.jp/ )に傾倒されて、こちらでも書籍を出版されている https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334037666 ちなみに、糖質制限の話を糖尿病内科の教授に伺ったら「短期的に血糖値が下がることは確か。ただ、長期的にそれが、患者さんの予後を改善するかどうかはまだ未知数」って返事をもらった(当時の話なので、今はもう少し議論が進んでいるのかもしれない)。
漢方的な話で言うと、これまた知り合いの先生の患者さんで、どうしてもインスリン注射がしたくない、ということで、厳格な糖質制限をされていた、っていう話を伺った。糖質の多い野菜まで避けると、それなりに、血糖値が変動しない状態を実現することができる、らしい。ただし、「その方はすごい、風邪をひきやすくなって。で、いろいろ考えた結果、インスリンを注射して、糖質を摂取することにされた」って話だった。水穀の気と呼ぶのだけれど、やっぱりそういう穀物の中に「気」を補うものがあるの、かもしれないよねえ…って話だったように記憶している。
そういう話を聞いてきたことが積み重なった結果として、今、現在目の前に見えている「不合理なこと」についても、それが成立するまでにも歴史があって、試行錯誤の結果としてそこにたどり着いているんだろう、って考えるようになった。
その周辺の事情を抜きにして、「この部分が不合理なので、ここを改革します!」ってやって、上手くいくこともあるのかもしれないけれど、だいたいはどこかに皺寄せがきて、「やっぱり前の方が良かった」みたいなことになりかねない。もちろん、湿潤療法みたいに、時代や環境が変わってくることで、実現できる変化もあるわけだから、古いやり方にしがみつき続ける、っていうのも、ちょっと違うんだろうなあ、って思うのだけれど。