#37 東洋医学とは

nishi01

#36で、「初学者が東洋医学と西洋医学を混ぜるのは危険」っていう話を書いたのだけれど、それぞれ、一応の体系がある。

すごくざっくり「東洋医学」って呼んでいるけれど、たとえば、有名なところで言うと、中国医学とか中医学って呼ばれるものの他に、韓国が韓医学っていうのを擁しているし、もっと西にいけば、アーユルベーダも東洋医学の分類に入っている。

中医学と韓医学は、ほぼ同根と考えられるのかもしれないから、まあ、一緒に勉強しても良い、のかも知れないけれど、アーユルベーダと中医学を同時に学習する、っていうのも、たしかにあまりお薦めできない。

日本国内の話で言うと、漢方と中医学が別だ、っていう説があって、日本漢方を勉強するときに中医学の理論はちょっとおいておけ、みたいな話をされることもあった?らしい。そんなに違うの?って思ったりすることもあるのだけれど、違うところは違う。

ややこしい話をすると、マクロビオティックっていうのが、陰陽理論を持ち出しているのだけれど、彼らの言う「陰陽」とその分類は、漢方や中医学とは全然違う。

彼らの理屈では「地面に深く潜っていく働きのあるものは陽」みたいな、そういう性質で呼ぶので、割と有名なところで言うなら、タンポポの根を、「陽」として扱うのだけれど、中薬の中で、「蒲公英根」…つまりタンポポの根は、「陰」のものとして分類されている。逆じゃん!ってことがあるんだけれど、小倉重成っていうひとあたりが、漢方をやっていても良くならない、っていう人たちに食養生を導入することになったときに、どうやらマクロビオティックの思想が混ざっていたらしく、生薬の話で混乱することは少ないものの、食養生になってくると、結構混乱している。

まあもともと生薬の陰陽とか帰經とか、そういうものも、理解するべきこと、だったんだろうけれど、今は割と丸覚えするべきことになっているから、ねえ。

本当は、漢方とか中医学とか、あるいは鍼灸とか、そういう「日本における東洋医学」の担い手が、みんなで力をあわせて、っていうのが理想なんだろうけれど、現実的には、まあ難しい状況があって、お互いに「おまえたちのやっていることは認めない!」みたいな喧嘩をしていたりする…。いやさ。結構ひどい、って思うようなこともあるのだけれど。玉石混淆すぎるのよねえ…。

現状、日本の東洋医学(中医学とか漢方とか)の状況っていうのは、その担い手が「医師」の部分と「薬剤師」、それから鍼灸の領域は「鍼灸師」ってことで、職能がぜんぜん別だったりするし、バックグラウンドが違うから、お互いの専門的な議論が伝わりづらい、なんていうことがあるのかもしれないけれど、特に「医師」の部分で言うなら、西洋医学の訓練を受けておきながら、その「王道」をいわば踏み外した、へそ曲がりみたいな人たちがけっこういる、っていうことになる。

円グラフの最後にある「その他」っていう部分がわりと大きくってもさ、中見るとバラバラ、っていう感じのがあるでしょ。なんか、そういうのに似ているような気がしている。「その他」ではさ。大団結とか、できないんだよねえ。難しいよねえ。

東洋医学にも、いろいろあるよ、っていうこと、結構話してきたし、実際のところ、漢方でも古方派と後世派と、折衷派と…みたいな違いはあったもんねえ。

漢方やってる医者と、薬局で漢方相談やっている薬剤師、くらいなら、似たような漢方薬を使っているから、共通言語がある、はずなのだけれど、鍼灸師さんたちと、となると、何らかの抽象的な概念を使わないと、共通言語が成立しづらい、っていうのが実際のところ。

あるいは、共通言語として「患者さんの状況と症状」っていうのはあり、かもしれないけれど。これはだんぜん個別の患者さんの話になってくるし、お互いに診ているものが違ったりすると、じゃあこっちはこのあたりのことやってますので!っていう、棲み分けに近い話になってしまったりすることも多いような気がする。

じゃあ、共通概念ってなんだい?って話になるんだけれど、これがたぶん、「気」ってことなんじゃないかな、って思う。

この「気」がさ。現代の西洋医学には、無いのよ。気、じゃなくて、全部、生物学と生理学で説明してしまおうというのが、たぶん、分子生物学なんかの思想でさ。それはそれで、間違いじゃないのかもしれないけれど。

もちろん、漢方のうんちくとか、その臨床経験から得られた知見を、じゃあ、西洋医学的な解釈したら、どうなるのか、とか、西洋医学的に理論展開したら、あたらしい治療法が出てくる、とかっていうのはあるんだろうと思うのだけれど、前提として「気」を措定するかしないか、っていうところで大きな違いがあるんだろうと思う。

で。じゃあ、漢方やってる先生がみんな「気」を理解しているのか?っていう話になるんだけれど、これが、ねえ。結構厳しい話になりそうのなのよねえ。

中医学理論の中では気は物質っていうことになっているのだけれど、これは、中国が共産党の思想で塗り替えられる時に、唯物論主義を貫こうとしたから。実際にはやっぱり無理があって、今は教科書には「気」は物質的には…みたいな話の部分はあまり真面目にとりあげられないんだろうな、っては思うのだけれど、よくわからない。

うっかり「気」をきっちり説明できない、っていう話になるんだけれど、説明は難しいのよ。物質じゃない、から。

ただ、物質として存在しなくても、「ある」もの、ってあるでしょ。

たとえば、「虹」。

だれも「虹」が実体をもって存在しているものじゃない、ってことを知っているけれど、でも、出てくればそれなりの条件で、誰にでも見えるし、それが「ない」とは誰も言わないよね。

「気」もそれに近い。で、その気を措定することで議論がわかりやすくなる、っていうんだったら、良いんじゃねえの?って人たちと、実際に気を知覚した、っていう人たちの間で、結構な溝があるんだろうと思う。

で、そういう議論をしているところと、そんなものの存在自体を許容できない、っていう西洋医学との間にも溝ができる。

なんなら、東洋医学の勉強している方々(漢方とか鍼灸とか)も、今は西洋医学の解剖学や生理学を勉強することが必要になっていて、ある意味、大事なことなんだけれど、それが勝ちすぎると、うっかり西洋医学理論の上に、漢方や鍼灸を載せようとしてくる。まあ、それでもそれなりに効果があるから、それはそれで良いんだけれど。さ。

そうなってくると、この人たちが本当に東洋医学を名乗っていて、良いんだろうか?って思うわけでさ。今の日本の医療系国家資格っていうのは、やっぱり西洋医学が大前提になっているわけで、その枠組みの中で教育を受けて、資格を認定されている、っていうことだし、西洋医学的な枠組みの中に、わずかほど自治権を持った「東洋医学」っていう看板をかけた荘園みたいなものなのかもしれない。

そこでさ。「東洋医学は!西洋医学とは違って!」みたいな大上段から、対立するような話って、できないよねえ。むしろ、東洋医学「風」ってくらいにしかならんのかもしれないよねえ…。そこを出てくるには、やっぱり「気」の把握が必須なんだろうなあ…。

把握しても、それを動かせるかどうか、っていうのは別の話になってきたりするけれど、っていうのと、この「気」ってのがさ、また似たようなものがいろいろあるのよ。で、似ているけれど、ちょっとずつ挙動が違ったりするのよ。まあそこまで細かい話はあまりしないで、まとめていても良いんだろうけれど。