#19 妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)の話

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妊娠中毒症…っていうのは、ずいぶんと古い物言いで、今は「妊娠高血圧症候群」って呼ばれている。さらにその昔は「前期妊娠中毒症」「晩期妊娠中毒症」ってそれぞれ言われていて、この前期…ってやつは、今の妊娠悪阻のことを言うらしい。これは古い看護学校の教科書を読んでいてみつけた。なるほど。それ以来妊娠悪阻と妊娠高血圧症候群は前後に並ぶ形で教科書に記述されているのか。

妊娠高血圧症候群とは、って話はあちこちに記述がある。

たとえば産婦人科学会 https://www.jsog.or.jp/citizen/5709/

日本妊娠高血圧学会なんていうのもある。https://www.jsshp.jp/patient/

 

ざっくり言うと、妊娠中に血圧が上がってきて、蛋白尿が出てきたり、あるいは浮腫がでてきたりする病態で、これが起こると、赤ちゃんの状態が悪くなったりするとか、あるいは子癇 (しかん) といって、妊婦さんがけいれんを起こしたりすることがあったりとかする。

妊娠高血圧症候群を背景に、常位胎盤早期剥離、という、これまた胎児や母体の生命に危険が及ぶような病態が起こることも割と多いといわれているし、HELLP症候群という、これまた母体にいろいろ問題が起こりそうな病態も起こると言われている。

どんなひとが、発症しやすいのか?って話は、わりと複雑で、「高年の妊娠の場合」「初妊娠の妊婦」「血圧が高いとか、糖尿病があったとか、腎臓が悪いとか、そういうもともとの疾患がある場合」みたいなことが関係している、とされているのだけれど、今のところ、きっちりした病態はまだ解明されていなくて、研究が続けられている。

発症のモデルとしては、着床してからしばらくの間に、胎盤にとどく血管の形成がわるいことで、子宮から胎児への血流が思わしくない状態が続くと、胎児側から「もっと頑張って血流を供給してほしい」的なサインが、ホルモンみたいな物ででてきて?で、それで頑張って(=血圧が上がる)血液を送る、という形ではなかろうか、って言われている。

昔、研究室の先輩が妊娠高血圧症のモデル動物を作っていたのだけれど、マウスだったかな、ラットをつかっていたのかな。彼らは妊娠高血圧症という疾患を持たない動物なので、無理矢理、子宮への血流を減少させる(動脈を縛ってしまう)ことで、よく似た病態である、としていた。なんらかの形で、子宮から胎児への血流が良くないんだろうねえ。きっと。って思っている。

妊娠高血圧症候群の診断にいたった方は、やっぱりその後、長い経過の中で、腎不全や高血圧なんかを発症することが、他のひとよりもやや多い、ってことも知られている。そういう意味では妊娠中っていうのはある種の「負荷検査」みたいな状況になっているとも言えるのだろう。

毎回の妊婦健診で、どんなことを見ているか、っていうのを知ると、どれだけ、この妊娠中毒症に対して身構えていたか、っていうのがよくわかる。たぶん、周産期死亡率の低下に妊婦健診とか、母子手帳が役に立ったっていうのだけれど、こういうところなんだろうねえ、って思う。

それは、「体重測定、尿検査(尿蛋白)、血圧測定、そして浮腫の有無」って、健診の項目のうち、4項目が、まさに妊娠中毒症を目標にしたチェックリストになっている。(他の検査項目としては、子宮底、腹囲…胎児発育の評価や羊水量の異常がないかどうか、尿検査(尿糖)…妊娠糖尿病のスクリーニング、とかなので、本当に中毒症への配慮のウェイトは大きいのよ)

で、早期に中毒症を発見して、適切な管理をすれば、わりと周産期の死亡率が下がる、ということになったんだろうと思う。早期に発見したから、って治療が簡単、とも言いづらいところはあるのだけれど。

治療としては、妊婦さんの血圧を下げる、っていうことになるんだろうけれど、もともと妊婦さんにつかえる降圧薬ってのはあまり無かったので、このあたりが大変だった。今はある程度解禁されて、この辺の薬なら、まあ仕方ないでしょう、くらいになっているけれど、じゃあ、その薬をどんどん使って血圧さげたら良いのか、っていうと、下げすぎると、もともとの病態として、胎児が「血流が足りない!」って叫んでいる(いや叫んでいるわけじゃないけれど)ところに、ますます血流が足りなくなるので、今度は胎児機能不全(胎児への血流が不足して、胎児の余力がなくなってしまっている状態)になったりして、そっちが理由で妊娠の終結をしなきゃならない、なんてこともある。

古い言い方で、既に淘汰されたはずの「中毒症」って言葉を私が敢えて使っているのは、この病態の治療法としては、「妊娠の終結」っていうのが一番根本的な方法で、それなりにコントロールできている場合はともかくとして、そうじゃない場合には、治療法としては、「妊娠を終わらせる=分娩を済ませる…っていうことはだいたいは緊急帝王切開をする」ってのが、一番効果的であるから。

とはいえ、産褥の妊娠高血圧症候群発症、っていうこともあるし、産褥の子癇っていうのもあるから、中毒がすぐに解除されるわけでもない。

それと、あとは発症の妊娠週数にもよるのだけれど。早期に発症すると、胎児が胎外生活を送るには、まだまだ未熟だったりする。その辺をなんとか、かんとか、って妊娠した状態で、母親の血圧やその他の症状をにらみつつ、週数を稼ぐ、っていうのが、まあハラハラするような管理になってくる。

子癇っていうのは、本当に意識を失ってけいれんしたりするし、そのような状態が続くと、胎児への酸素供給も低下するので、本当に気をつけることになる。で、これについては、硫酸マグネシウムがわりと有効らしい、っていうことで、マグセントⓇっていう薬がよく使われている。

病因もあまりはっきりしない、っていうところもあるし、(胎盤の血流が悪いからだ!っていう「説」はあるのだけれど、じつはだれもそれを見たことがない。だって着床のところの血管なんて、妊婦さんから取ってくるわけにいかないから)発症の予防に何をしたらよいのか、っていうのもよくわかっていない。妊娠の早い段階で、なんらかのバイオマーカーがあって、採血したら、妊娠高血圧を発症するとかしないとか、予見できたら良いのだけれど、そういうのも、今のところはまだ見つかっていない。

の、だけれど、発症しやすいひと、の中に、「初産婦」ってのがあるでしょ。物の本によると、初産婦だけじゃなくて、「妊娠する時のパートナーが変わって一人目の妊娠」っていうのもあるんだって。で、この辺を考えると、免疫との関係があるのかもしれない、って言われている。

そもそも。そもそもだよ。妊娠って、とっても不思議な状態でさ。だって、胎児って、どう考えたって、遺伝子的には「別人」だよ。どうしてその別人とか他人とかっていう存在がさ、自分の中に「寄生」していることをうっかり許容しているのさ?って、免疫さんの仕事を考えたら、とっても不思議でしょ。もちろん、この辺に「免疫寛容」とかっていう不思議な機構があって、なぜか、まあしばらくなら大目に見ようか、っていうことをするからこそ、哺乳類として、子宮の中で子どもを養育できるわけでさ。それに失敗すると、種として滅ぶから、まあ免疫のシステムよりも重要だよねえ。きっと。

人の免疫システムって「自己と、非自己を弁別する」っていうことになっているけれど、じゃあ、実際にきっちり分けているの?っていうと、その辺はきわめて怪しい。で、うっかり自分自身の方にも「これは!異物じゃ!」って大騒ぎしているのが自己免疫疾患だし。癌…癌細胞はもともと自分の細胞ではあるわけで、まあこれもきっちり「ちゃんとした自分」じゃない、っていうことで言うなら排除の対象になっている筈なんだけれど、免疫のシステムをかいくぐる巧妙なシステムを持っていたりする、っていうのを見つけたのが本庶先生のPD-1とかPD-L1とかっていう部分で、ここを取り締まりましょう、っていうのが癌免疫を狙った治療ってことになっている。

ひょっとすると、妊娠中の免疫システムにもそういう寛容を引き起こす部分があるんだろうかしら。ねえ。

研究の話のついでで言うなら、妊娠中の胎児からはそれなりの量のDNAが母体の血液に流れ出している。これがどのくらい母体の中に存在するのか、は知らないけれど、胎児のDNAってことは、そのおよそ半分は夫由来のDNAってことで、女性の身体には、妊娠を経由して夫のDNAが入ってきている。「だから夫婦は似てくるんだ」って『胎児のはなし』の中で増崎先生は喋ってた。本当かよ、って思う部分はあるけれど、母体の採血をすることで、ある程度胎児の遺伝情報を調べることができる、っていうのはすごい研究だよねえ。NIPTってのは、このDNAをある程度集めてきて、その割合なんかを計算することで、染色体異常の可能性をスコアにしている方法だった。

ところで、話は変わるんだけれど。

健康診断で血圧をはかって、「高いですねえ」っていう人の脈をずーっと見ていると、ある程度の類型があることに気づいた。

血圧が純粋に高くて、血管も硬い感じのひと、ってのがまあ典型的な高血圧なんだろうと思うのだけれど、そうじゃなくて、脈が沈んでいて、触れると本当に奥の方にしか無い、いわゆる血虚タイプの高血圧の人もかなり多い。こういう人はだいたい寝不足がついてきているのだけれど、現代の日本人、やっぱり睡眠時間短いからねえ。それから、いわゆる白衣高血圧に近いタイプ。緊張が血圧に反映される。

妊婦さんじゃない、高血圧の人たちにも、脈だけでも2−3種類ある。じゃあ逆に脈を診て、それだけで高血圧か、そうじゃないか、ってわかる?って言われると、この3パターンの組み合わせがあるから、たぶん、典型的な高血圧の人たちは多少わかるかもしれないけれど、あとは難しいと思う。なんなら、高血圧治療中でも脈が硬いまま、っていう方も結構あるので、そういうのをあわせるとさらに難しい、ってことになる。

つまり、血圧が高いっていう病態もさ。本当に何種類かあるんだよ。きっと。

妊婦さんの血圧だって、きっと、高い、っていう病態がいくつかあるんだろうと思うのよねえ。それを分けると、ひょっとすると、妊娠高血圧症候群って、3種類くらい、別の病態が混ざっていたりする?って思う。これはまるっと私の妄想だし、どうやってそれを弁別するのさ!って話になると、これも方法論が無いので、悩ましいところでもあるんだけれど。

ただ、長いこと研究されているにもかかわらず、ハッキリした病因とか病態がいまだ解明されていない、って、いうのは、その中に複数の病態が混在しているから、っていう陰謀論みたいな説を採ると、ちょっと説得力が出たり…しないですか、そうですか。

妊娠高血圧症候群って、ヒトにしか出ないらしくってねえ。これも全くの妄想だけれど、ひょっとするとヒトであることとの深い関係、みたいなことがあるのかもしれないよねえ。二足歩行になったことが遠因だとか。あるいは、高度な知的作業をするようになったことが遠因だとか。まあなかなかその辺はわからないし、動物実験では出てこない領域の話になるよねえ。