コラム 西洋医学的疾病モデルと、伝統医学的疾病モデル

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いわゆる西洋医学が日本に伝達されるのは江戸時代末期のこと…と思っていたけれど、ふと調べてみたら、ルイス・デ・アルメイダという人が商人でありながら医師免許を持っていて、1557年ころには日本国内に西洋医学を基礎にした病院を設立していたりする、らしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%80 あれまあ、そんなに歴史があったとは。

とはいえ、江戸時代には…って書こうと思って、いろいろ調べていたら、真柳先生のコラムを見つけてしまった。

「西洋医学と東洋医学」「中国医学と漢方」

「前述の経緯で、西洋医学・医師や東洋医学・医師などの区別や用語は医事法規にない俗称とされる。正規にはただひとつの医学・医師、つまり俗称の西洋医学・医師しかしかない。はり灸・師も法令上は医学・医師ではなく、医療類似行為・者と規定されている。むろんそれらを何々医学というのは勝手だが、こうした行政の立場を誤って伝えぬよう、WHOの伝統医学会議に出席するとき厚生省で念を押されたことがあった。

  中国・韓国は伝統医学を承認しているので、それぞれ中医学・韓医学を正式用語としている。しかし両国でいう西医学・西洋医学のほうは俗称で、やはり正称は医学である。」

1997年の文章だから、「厚生省」が出てくるけれど、なるほど、釘をさされていたのだそうで…。西洋医学ってのは俗称なんだ。たしかに。わざわざ正式名称に西洋ってつける必要がないよねえ。

明治時代に「脱亜入欧」ってかけ声をかけてさ、結構いろいろ頑張ったのよ。で、近隣の東アジア人をさ、三国人って呼んでみたりとか。なんでそうなるの?って今から冷静に考えれば、そうはならんだろ、って思うような思想なんだけれど…って思う一方で、2024年のパリオリンピックにおけるアジア人差別(典型的には閉会式のポスターに「金メダル数では上位3カ国に入っていた」日本と中国の選手が載っていないなんて形で表現された)を見ていると、まだ米国の方がアジア人に対する差別が「マシ」だ、って話になってくるらしい。当時、欧米人を相手にしていた明治政府なんかは、現代からはとても想像つかないくらい「欧米人になる」ことの必要性みたいなものを感じて焦燥感があったのかもしれない…。

明治維新っていうのは、そういう「近代化」の旗頭だったんだけれど、同時に、江戸時代まであった秩序をひっくり返す、良い機会だった、って部分も結構大きくて、たとえば廃仏毀釈ってのも、それまでに本当に大きな顔してのさばっていた僧侶の足を引っ張った、みたいな面も結構あるんじゃないか、と思う。

(西郷隆盛が征韓論を唱えて西南戦争、って話にはなっているけれど、その少し前には大久保だったか木戸だったかが征韓論を唱えていたらしく、イシューの問題ではなくて、単純に勢力争いに、イシューが使われた、って事情らしいし)

で、江戸時代にでかい顔をしてのさばっていた、漢方医を追い出したかった、ってのが、あったのかもしれない。明治政府が採用したのは、西洋医学だった。それは、その直前に医学館での医学に西洋医学(蘭方)を認めなかった、というような確執があったから、なのかもしれない。

いや、現実的な話をすると、軍隊に必要な医学・医術というと、西洋式の手術が必要だったから、という話になっているのだけれど。

ただし、西洋医学を採用した時に、既にその優位性が自明であったわけではない。西洋医学の特長の1つは手術を行うこと、なんだろうと思う。やっぱり戦争になると、怪我するひとがいて、その治療をしなきゃならないわけだし。でも、西洋医学が導入された当初は鎮痛なんてものはアイデアすら存在しなかった。その後、笑気(亜酸化窒素)麻酔ないしエーテル麻酔が実践されるようになるのは1840年代のことであるhttps://www.terumo.co.jp/story/ad/challengers/15 が、日本では、1804年に、華岡青洲が麻沸散と呼ぶ麻酔を用いた乳癌の手術を行っている。https://www.terumo.co.jp/story/ad/challengers/14 https://www.wakayama-med.ac.jp/med/bun-in/seishu/anesthesia.html 華岡青洲は中国の古い文献からアイデアを得た、ってことになっているらしいし(よくそれに似た成分の植物を見つけたとは思うけれど)ひょっとすると、太古の中国には麻酔の概念があったのかもしれない。

なお、麻酔が成立してからしばらく、西洋医学の中では、創部感染が問題になってくる。なので、「やっぱり麻酔して、痛みを感じないのがいけないんじゃないか」みたいな話が出てきたこともあったらしい。交絡因子ってのはこうやって発生してくる。

現在ではビタミンB1の欠乏であることが知られている、脚気であるけれど、鈴木梅太郎(1874-1943)がオリザニンとしてこれを発見するのが1910年のこととされている。翌年に同じものを発見した研究者がいて、そっちの論文が優先されてしまったので、ビタミンB1って名前になるらしいのだけれど。https://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/history/person/suzuki.html それまでは、わりと脚気ってのは治療しづらい病気だった。明治期にその治療を西洋医学と漢方とで競ったことがあり、この時にはじつは漢方の方が治療成績がよかった、という記録が残っていたりもする。https://www.jsnr.or.jp/meeting/docs/29_10.pdf

江戸末期から明治にかけての漢方医として、浅田宗伯(1815-1894)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%AE%97%E4%BC%AF という名前が有名である(浅田飴の由来にもなっている)けれど、彼はフランス公使ロッシュhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5 の慢性腰痛を漢方で治した、という記録もある。

これは西洋医学よりも漢方の方が良かった、って話の部分だけれど、こういうことはあったのだろうと思うし、今でもある。米国では近年、伝統的な中国の医薬品へのニーズが高まっており、これを処方できる中医師は、引く手あまたで、収入もすごく大きくなっているらしい。

西洋医学の代名詞ともいうような強力な治療薬である抗菌薬は、サルファ剤がはじめであるが、その後、フレミング(Alexander Fleming,1881-1955)が1928年に発見したペニシリンがかなり大きな影響を及ぼすことにいたり、https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/67/11/67_550/_pdf こうした「魔法の弾丸」は医学の様相を大きく変えてゆくことになった。

これが一般化してくるのは太平洋戦争中のことであり、日本で抗菌薬が一般臨床に用いられるようになるのは太平洋戦争後ってことになる。

だから、西洋医学っていう技術が最初から「良いものをもたらした」っては必ずしも言えないんだろうと思うし、医療が導入されて、すぐに人々がしあわせになった、とも言いづらいんだろうと思う。もちろん、それまでの「名乗ったら医者」だった時代の、何ができるのかわからん、という状況よりは、試験に合格した、という意味での最低限は保証ができた、ということなのかもしれないけれど。

それに加えて、医療費はやっぱり、高かったから、高価な薬は庶民の手にはまだまだ届くものではなかっただろうと思う。国民皆保険制度が成立してくるのは、これも戦後を待つ必要があるし、公衆衛生が改善してくるのも、たとえばシラミに対してDDTの散布なんてのは、米国が占領統治しているときに始まったようなものだったりする。

じゃあ、なんで、「西洋医学」が良かったのか、西洋医学がもたらした恩恵とはは何か、という問いに対して三砂ちづるは「病の原因を個々人の『行い』に求めないところ」であると指摘している。

それまでの伝統医学の身体観・疾病観においては個人の生活や心の持ち方が病を引き起こす原因や誘因であると考えられることが多いので、病を得る、ということはその人の生活やこころの持ち方になんらかの瑕疵があった、ということになるわけで。それはともすると病に苦しむその人を責めることにもなる。

「病気になったのは、あなたの行いが悪かったからだ」というやつであるけれど、まあたとえば梅毒なんかは、そりゃ品行不方正だった、ってことになっても否定しきれないところはあるよねえ。

(旧約聖書の『ヨブ記』なんかには、「ヨブは全く正しい人であった」って書いてあるけれど、悪魔がささやいて、彼を試す?ために、恐ろしい病魔が彼を襲うことになった。で、家族や友人が「だからあなたは悔い改めるべきだ」みたいなことを言い聞かせるたびに、ヨブ自身が「私はまったく正しかった」って言うわけで、でも病気は治らないし、お金はどんどん減っていくし、友人も家族も、彼を見捨てて、彼は本当に悲惨な状況に陥った、って書いてある。こういう文章を読むと、西洋においても近代以前は「病気は個人の責任」というような思想がけっこう有力であったのかもしれない、って思う)

西洋医学のいわば「身体は精密な機械のようなものである」という考え方と、それに基づく「身体の異常=疾病=は、機械のような身体の言わば故障であるという身体と疾病のモデルを作るにいたるわけだけれど、この疾病モデルによって、「疾病が個人の思想信条や生活を原因とはしない」という考え方がうまれてきた。

そして、疾病に苦しんでいる人を、今までの行いや思想などのどこかに悪いことがあったんじゃないか、という形で責めはしない、ということは、病に倒れたひとにとって大きな慰めとなったんだろうと思う。

この思想は抗菌薬の出現後「病気の原因は病原菌であって、それはある確率で感染と疾病を引き起こすが、個々人の生活にその誘因を求めない」という形で感染症治療のさいに強く意識されるようになるのだろうと思う。

その割には、コロナの感染が広まった最初に、村八分にされた家族がいるとか、って部分で、やっぱり感染症に対する偏見や差別が人の中にはある、ってことがわかったけれど、ただし、公式見解はけっしてそういう差別を肯定しなかった。ここで、公式見解がどうだったか、っていうのはだいぶ大きい意味合いを持つわけだから、病気の原因を個人の行動や思想に求めない、という姿勢は、とっても大事なのだということがわる。

ただし、この「疾病への対応に、個人の責任は無い」とする姿勢が進みすぎると、疾病の治療から、個人のあり方が疎外されることになる。あたかも「病に対してなんの影響力ももたないわたし」という像が作られてしまうことになりかねない。この反動がいわゆるインフォームドコンセントなどに見られる「患者の治療への参画」という動きなのかもしれない、と私は考えている。

さて。疾病が複雑化・多様化している現代では、いわゆる生活習慣が誘因となる疾病というものもある。単純な「外からやってきた原因が私の中に居座るから私は病気になったのだ」という物語だけでは説明ができにくくなってきているのも事実であって、生活習慣病なんて呼び方をされたりも、する。

さらに言うなら、「生活習慣病」と呼ばれているものの中にも、生活習慣に留意することで予防できる場合と、思いがけず発症し、予防などしようもない場合(1型劇症糖尿病など)が混在しており、これらをまとめて「生活習慣病」と呼ぶことへの違和感や、名称がもたらす個人への断罪の意味合いを軽減するべきだ、とする主張も見られたりする。

このあたりもいわゆる医学が単一の人体モデルや疾病モデルでは成り立たないくらいに複雑化している、ってことを示唆しているのかもしれない。

一方で、伝統医学における身体モデル、とか疾病モデルには、西洋医学では採用されていない概念、が、出てくることが多い。それは「生命力」あるいは「気」と呼ばれることが多いのだけれど、これは現代的な西洋医学のモデルの中には見いだせない、伝統医学特有の概念ではないか、と考えられる。

西洋文明が古代から一貫してこういう概念を所有しなかった、というわけではなくて、むしろ、西洋近代がこの生命力的な概念を意識的に、排除してきた、と考える方が良いのかもしれない。

生命力、と呼ぶような、なんらかの正体不明なエネルギーを措定せずにも、生化学と細胞学で説明がつけられる、という思想は、物事をつまびらかにしてゆく、という点において、好ましいのかもしれない。

とはいえ、いまだ、この「正体不明なエネルギー」についての説明が十分についているとは言いがたいところが残っており、人の実感としては、このエネルギーの存在を措定して説明する方が理解しやすい、という物事も多かったりする。

それは、現代に生きるわれわれが、まだ完全には科学的な生活に移行しきれていないから、とか、生化学をきっちり理解するには知性が追いついていないから、とかそういう理由があるから、なのかもしれない。って、多分、西洋医学とか、科学信奉者はそういう風に考えるのかもしれないけれど、わたしは、個人的には、そういう科学が捨象してきた微細な部分にやどるなにものか、っていうのが、やっぱり存在して、それがいわゆる生命力とか、気と呼ばれるものの一部なのじゃないか、と思うし、もちろん、伝統医学の枠組みの中で生命力とか気とかって呼んでいたものの幾ばくかは、西洋医学的な枠組みの中で解釈されたり理解されたりすることが可能なんだろうと思うけれども、どこかに割り切れない「残り」があるんじゃないか、って思ってはいる。で、西洋医学とか、科学至上主義の人は、たぶん、その「割り切れない残り」を見ないようにしているのじゃないか、ってすら思っている。

もちろん、そうやって割り切れない部分を無視できるなら、それはそれで、しあわせな生き方なのかもしれないけれど、割り切れない部分を抱えているひともけっこういらっしゃって、そういう部分については、やっぱり伝統的な東洋医学みたいなものが、役に立つんじゃないかなあ、って。

そりゃ、江戸時代までの「漢方」とか「鍼灸」とかが引き受けていた範囲に比べたら、少ない領域かもしれないけれど、でもちゃんとニーズがあるなら、今でも大事な仕事になってるんだと思う。