ヒトの身体を、私たちはどのように見ているのか。
日本の歴史でいうなら杉田玄白、前野良沢の『解体新書』(1774年)https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146045 っていうのが、ひとつの大きな転換点であったと思う。もちろん、その少し前から、ヒトを含めた解剖の学問が醸成されてきたからこそ、この書籍の出版なわけだから、この本がというよりこの本が出された時代が、ってことになるのだけれど。
それも含めて、解剖学者だった養老孟司氏が『日本人の身体観の歴史』https://pub.hozokan.co.jp/book/b613008.html って本を書いている。これも名著で、というか、学生時代にレポートを書くためにこの本を読んだ直後、「いやもう私のレポート必要ないじゃん!」って思ったくらい、懇切丁寧に書いてあった記憶がある。おかげで文章が書けなくなったが、まあ相手が養老先生なので、仕方ない。
もうちょっと古い時代、つまり、西洋医学的な解剖が日本で実践される前、の身体構造ってどんな風にとらえていたか、っていうと、『和漢三才図絵』って本が出ている。これはもともと百科事典みたいなものなので、本当にいろいろな項目が羅列されているのだけれど、その中に、人の身体についての項目ってのがあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%BC%A2%E4%B8%89%E6%89%8D%E5%9B%B3%E4%BC%9A よくよく見てみると、これも実は18世紀に出版されている本らしい。解体新書とさほど違わないじゃないか!ってなるんだけれど、この百科事典的な大部の中の「経絡部」ってのがあって、これが身体についての百科事典になっている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2596359/1/3 こちらが当時、医療者がとらえていた身体像としては、わりと上手に絵が残っているのではないだろうか。まあ、経絡図とか銅人形(身体上の経絡と経穴を表示した人型の模型)とか呼ばれるものの一種だろうと思う。この、「前近代的な身体像」っていうのを、むしろ私たちはグロテスク、と感じたり、ナンセンスと感じるようになってしまっているのかもしれない。すでに、そういう身体観と、私たちは地続きではいられないところに居る、のだろう。
こういうあたりから、ヒトの身体をどのようにとらえてきたか、っていうのは理解できるのかもしれない。逆に言うなら、「ひとの身体」っていうものを俎上にあげて、議論しているのは「武術系」と「身体表現系」、それから「医療系」の人たちだけだ、って話もあって、それぞれ「勝つか負けるか、生きているか死んだか」みたいな話と「外側なり動きなりというものがどのように表現されるか」ってことと「正常か異常か、元気か死にそうか、あるいは死んでいるか」みたいな話と、ってところに終始するのかもしれない。
まあそれはそれで仕方ない話ではあるのだけれど、身体論とか、そういう言葉を使ったり、あるいは身体性、っていう表現をしたりしつつ、からだの事をなんとか考えたい、っていう思索がなされては、いる。日本だと鷲田清一氏あたりが、そういうことをわりと真面目に考えた、ってことになっているらしい。
(それよりも養老先生の方が少し先輩になるのだろうか)
世界史の中では、中国の影響はそんなに大きくない、というか、中国では儒教が影響したのか、人体の解剖を禁じていたらしい。中世ヨーロッパではキリスト教の信仰のもと、ヒトの解剖は禁じられていたっていうから、洋の東西で、同じように人体の解剖を禁じるって、そんなにタブーだったのかねえ…って思ったのだけれど、昔から死者についてのタブーが結構、ある。
その理由の中には、感染症って問題も隠れていたようで、亡くなると、その人の身体では、感染性微生物に対する免疫の反応が消失するわけで、そりゃ、病原体も増えるよねえ、って。うっかり放置された、そういう病原体の塊に触れたら、感染が起こることも結構ありそう。ってことを考えると、亡骸に密接に接触する、っていう行為はそれぞれ、感染のリスクが高くなる行為だったのだろうし、まあ、当時は感染症の理解はされていなかったにしても、その後に嫌な事象が繰り返されるようになれば、禁止事項にはなってくる、のかもしれない。
ギリシアの彫刻がわりと写実的なのに、その後の中世は、ルネサンスに至るまで、あまりにも平面的な図像が多かったとか、そういう世界で生きていたということなんだろうか。技術的な話なのか、観察の問題なのか、それとも見ていた人たちの感受性の問題だったのか。
いずれにしても、地球が丸いものであることを知っていた古代ギリシアの時代から、いったん、学問の蓄積は消失して(イスラム世界に保存されていて、ルネサンス以降に逆輸入されたりするのだが)なんともプリミティブな世界観と人体観になっていた、というのは不思議なようではある。
中世を暗黒時代と呼ぶことはあるのだけれど、生きていた人が本当に暗黒の人生だったのか、どうか、ってのは、わからない。まあ、記録がほとんど無いために「歴史家が当時を見通せない」っていう意味での暗黒でしかなくて、実際にそこに生活していた人たちは、意外と満足していたんじゃないか、って思ったりはする(社会的地位によってもぜんぜん享受できるものごとは違ったんだろうから、一言では結論づけられないだろうけれど)。残念?ながらやっぱり、そういうまどろみの時代っていうのも破綻をきたして、新しい時代に移り変わっていくのだけれど。
ってことで、まあ、新しい時代、ルネサンス以降の、人体理解の歴史ってことを見るとある程度、今の身体観みたいなものがどう成立してきたか、ってところが理解できるんじゃないか、って思う。
で、ルネサンスと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)。彼は手稿の中に多数の解剖スケッチを残していたのだけれど、(彼は20年ほど解剖を行ってのち、教皇に禁じられたらしい。ってことはやっぱり禁忌だったんだろうねえ…)そのスケッチが存命中に出版されることはなかったらしい。その一部が出版されたのは1630年代って書いてあったから、実に100年以上も塩漬けにされてた、ってことになる。
西洋医学の中で現在見るような「正確な」解剖の図版を出版したのがヴェサリウス(Andreas Vesalius,1514-1564)って人になる。この人による『ファブリカ(De humani corporis fabrica)』が1543年に出版されているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AB_(%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9) から、やっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチよりはちょっと時代が下がる。
わりと緻密で写実的な解剖図を出版したんだけれど、このころには人体の解剖が再び許容された、ってことになるんだろうか。まだまだ感染症という概念は無いのだけれど、それよりも新しいことに挑戦、っていう勢いが出てきた時代なのかもしれない。それまでの中世ヨーロッパでは、ガレノス医学ってのが主流だったらしいけれど、ガレノスさん自身は2世紀くらいに生きていた人らしい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%82%B9 いや古すぎるでしょ。ヒポクラテスも古い人だけれど、四体液説ってのを提唱したりしているよね。そのまま中世の1300年くらい、医学は進歩がなかった、って事なのかしらねえ…。この辺は本当にわからんよねえ。
四体液説のなかで、血液が体内をどう巡っているのか、みたいな話は難しかったらしく、(毛細血管が見えなかったんだろうけれど)この辺が現代医学的に正確な情報に更新されるのは1628年にウィリアム・ハーヴェイ(William Harvey,1578-1657)が発表した、「動物における血液と心臓の運動について」という論文を待つことになる。実に1400年の間、いったい何してたんだろうか、って話になるのだろうけれど、それまではメランコリー(黒胆汁)とか、瀉血とかそういうことをやってたんだろうねえ。
ちなみに、コロンブスのお土産とも呼ばれる梅毒がヨーロッパに持ち帰られるのが1490年代。その後100年くらい経ってピューリタニズムっていうのが立ち上がるから、梅毒の感染経路みたいなものは、とってもよく知られるようになってきているんだろうと思うのだけれど、感染症が病原菌との関係で語られるようになるのは、ロベルト・コッホ(Heinrich Hermann Robert Koch, 1843 -1910)を待つことになるし、神経梅毒が脳内に梅毒スピロヘータが存在する、っていうことで感染症と精神症状との繋がりを指摘するに至ったのは野口英世(1876-1928)の成果とされているから、さらに時代が進のを待たなければならない。
っと、ちょっと先走りすぎた。
ルネサンスくらいのところに、もう一回戻ってみよう。
基礎研究の話でいうと、細胞ってのが生命の基礎だ、ってことになっているのだけれど、細胞が見えるようになるには、顕微鏡の発明が必要だった。
ロバート・フック(Robert Hooke,1635-1703)がコルクの観察から「細胞(cell)」を命名したとされている。これは小さい小部屋、っていう意味が中心になっている。今でもほら、エクセルなんかの表計算ソフトでは、それぞれの部屋?箱?をセルって呼ぶでしょ。あれです。あれ。コルクだから、細胞壁に囲まれて、中は空気に置換されていたんじゃないかなあ、って思う。生きた細胞っていうのは、また別の形で観察されていて、レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek,1632-1723)が、赤血球や毛細血管などの観察を行なっているらしい。
顕微鏡で、小さいものが大きく見える、っていうことも重要だったんだけれど、実はほとんどの細胞が光学顕微鏡で観察使用とすると「透明」に見える。なので、顕微鏡そのものの開発と同時に、観察対象である構造の固定や染色が必要だった、いろいろな色素なんかを使って、それらの固定や染色が可能になることで、細胞配列の観察や機能の推定ができるようになってきたんだろうと思う。ほら、染色体、って言うでしょ。あれは「細胞の中にあって、色素で染まる構造物」って意味なのよ。そうやって観察していたんだろうと思う。
顕微鏡でいろいろな構造を観察する、っていう研究領域が19世紀に入り、わりとひとかたまりの構造なんかを観察するようになってくるんだろうと思うけれど、それが組織学と呼ばれるものになる。
病理学っていうのは、病気がどのように発生して、どんな症状がでてくるのか、っていうことを研究したり議論したり、っていうことだったんだろうと思うのだけれど、組織学的な検索が結構影響力が大きくなった結果、昨今は、病変構造を組織学的に検討して、それらがどのような病変であり、どうやって治療していくのか、みたいな話のとっかかり的な部分になってきている。
ウィルヒョウ先生(Rudolf Ludwig Karl Virchow, 1821 – 1902)が細胞病理学としてはやっぱり有名な方で、「全ての細胞は細胞から生じる」なんていう格言を残している。その他、左頸部のリンパ節への転移を「ウィルヒョウ転移」なんて呼ぶ。偉大な先生ではあったのだけれど、ゼンメルワイスの手洗い励行!に対して、反対した、なんていう部分もあったらしいから、大御所が保守化すると大変だよねえ、ってな話にもなるんだけれど。
今でも病理の先生方は顕微鏡を覗いているのがお仕事、っていう雰囲気が強い。最近は、AIによる画像処理をやっているらしく、人の目が見るよりも正確だったり、なぜか特殊染色する前にその結果を予想したり、っていうこともできるようになってきていて、画像処理とAIとの相性の良さが示唆される。そりゃ大量の組織像って、ずーっと顕微鏡見ていたら、目も疲れるし、人力には飽きるとか疲れるとかっていう要素が入ってくるから、何かが補助してくれる、ってとってもありがたいことなんだと思う。
光学顕微鏡っていうのは、一生懸命倍率を上げていったら、どんな小さいものでも見える…というわけではなくて、ある程度よりも小さいと、光の波長の間にはさまって、観察できなくなる。だから、さらに小さなものを観察するという動機とともに、いろいろな手段が開発されてきた。
赤外線よりは紫外線の方が波長が短いから、ということで、紫外線で観察する顕微鏡、なんていうのも、あったりした。まあ、このあたりの一歩はほとんど誤差みたいなものだったので、紫外線顕微鏡は現在は別の事情で紫外線吸収なんかを観察するときにしか使わないのだけれど。もっともっと小さいものを観察しよう、ってなった結果として、電子顕微鏡ってのが出てきた。この開発によって、細胞の内部の詳細な構造(細胞内小器官)も観察されるようになってきた。
脱線するけれど、漫画家でもあった手塚治氏の医学博士論文が「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」(1960年、奈良医学雑誌)らしい。タニシの精子の観察なんだけれど、当時の戯れ歌に「タニシの金玉引き裂いて…」みたいなフレーズがあったらしく、それを大真面目に論文としてやったのだよ、って言っておられるかたがあった。まあ完全に脱線だけれど。
そんなこんなで、電子顕微鏡が一時期ブームにはなったのだけれど、電子顕微鏡で観察するとなると、細胞を「固定」しなきゃならない。固定した細胞は、つまり死んでしまうから、その先の変化は見えない、みたいなこともあって、一通り構造を観察したら、あとはまあブームとしては通り過ぎてしまった、んだろうと思う。
細胞の中で、代謝を行っている、いわば生命活動を支える、構造を作っているのは、主に「タンパク質」と呼ばれるもので構成されている。これは複数の「アミノ酸」と呼ばれる分子が結合して形成された高分子であり、これらが酵素だったり、あるいは運動タンパク質だったり、という形で、細胞内での化学反応を触媒したり、あるいはタンパク質そのものが物理的に変形したりしている。こうしておこる代謝や合成を研究する領域が生化学と呼ばれる。
現在につながる「遺伝子」という概念が出てくるのは、メンデル遺伝の法則として有名なメンデル(Gregor Johann Mendel,1822-1884)の論文の中であるのだけれど、その研究は生前にはあまり評価されていなかったらしい。1900年に同じようなことを研究していた研究者が、先行研究者があった、と「再発見」されることで世に知られるようになった。なので、メンデルの法則、って呼ばれているけれど、これは3人の名前が残っているけれど、あまり有名じゃない。この辺、なんとも立派な方々だったんだろうと思う。https://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbook/genetics.htm 「1900年になってド・フリース、チェルマク、コレンスの3人によって、独立にメンデルの法則が再発見され、コレンスによって3つの法則にまとめられた。」って書いてある。
当時は、遺伝因子というものは概念的な存在であったのだけれど、その後遺伝子の役割を担っている分子としてDNAが発見され、ワトソン(James Dewey Watson,1628-)、クリック(Francis Harry Compton Crick, 1916-2004)などがDNAが二重らせん構造をしているとはじめて報告した(論文「デオキシリボ核酸の分子構造」『ネイチャー』171巻1356号1953年4月25日発行)。http://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/ResearchSeminar/20190215WatsonCrick.pdf びっくりするくらい、短い論文だったりする。まあ、なんか女性研究者の成果を横取りしたとか、なんとか、いろいろスキャンダルはあったらしいけれど、その後2人はノーベル賞を受賞している。
だから、光学顕微鏡で観察される、核の中の染色に反応する部分は「染色体」って呼ばれるけれど、その分子生物学的実態は、「DNA」で、このDNAってのが、どうやら、遺伝情報ってのを持っている、っていう形になっている。遺伝子ってのは、DNAの配列がある程度まとまった情報として出てきたもの、のことを言うんだろうと思う。
で、DNAと、その周りのタンパク質合成なんかが研究された結果、現在は「セントラルドグマ」と呼ばれる学説が、一般的に妥当なモデルだろう、ってことになっている。
セントラルドグマってなんだい?って思うだろうけれど、名前は某有名なアニメーション映画で出てきてたりするんだよなあ。意味合いはぜんぜん違うし、こちらがむしろ元ネタなんだけれどさ。
これは細胞の核(中心)にあるDNAの一部…つまり遺伝子コードをmRNA(メッセンジャーRNA)という形に読み出したのち、細胞質内でtRNA(転移RNA)によってDNA配列を組み合わせてアミノ酸に翻訳しつつ、合成することでタンパク質を形成し、それらが細胞の構造維持や生理機能を担っている、という学説になっている。
ちなみに、DNAとかRNAを構成する核酸の種類はそれぞれ4種類で、ヒト(だけじゃないんだけれど)が生命活動で利用しているアミノ酸の種類は20種類なので、アミノ酸1つを決定するのに、DNAやRNAの配列は3桁を使っている。(4x4x4で、64パターンに対応できるから、遺伝子の方がちょっと冗長なんだけれど、4×4では16パターンだから、ちょっと20種類のアミノ酸では足りない)なんで、この20種類のアミノ酸なのか、とか、どうやって4種類の拡散を揃えたのか、とか、あるいはDNAとRNAで核酸のうち1つは違うんだけれどそれはどうしてなのか、とか、いろいろ疑問は湧くとおもうのだけれど、まあ、なぜかそういう形になっている、って思って欲しい。
本当にこのあたり、興味があるんだったら、生化学とか分子生物学とかの本がいっぱいあるから、また頑張ってそういうものを読んでもらえたら、と思う。
セントラルドグマ的に言うなら、情報の流れは、DNAからRNAへの転写、っていうことになっているんだけれど、やっぱりここに変態が出てきて、RNAからDNAに逆転写ってのをしてくるのが居る。逆転写酵素をもったウイルスってのがあって、こいつらが感染すると、ウイルスの情報がDNAの中に書き込まれたりする。まあ、そういう不安定さがあるからこそ、生き物としては、ゆらぎをもった変動をしたり、あるいは進化できたり、っていうところにつながるんだろうとは思う。
で、こういうDNAをがんばって実験室で合成したり、あるいは他の生物からとってきたDNAを別の細胞に組み込む、なんてことをやって、DNAの操作を行う形の研究が進んでいるし、最近はどんどんDNAの配列を読むのにかかるコストが軽減されてきて、速度も上がってきているので、DNA上の微妙な遺伝子変異、みたいなものを見つけることができるようになってきている。癌遺伝子とか癌抑制遺伝子とかの変異が見つかると、癌が発症しやすい家系だったりする、って話になるのだけれど、変異のしかたによっては、発症のリスクに関与しないパターンなんていうのもあるから、この辺は実際の蓄積を待つ必要があったりはする。
生物学の研究の話に戻ると、近年ではいわゆるDNA情報だけではなくて、生物の情報制御として「エピジェネティクス」と呼ばれる現象が研究理解されるようになってきている。これはこれで、ものすごくややこしい現象なんだけれど、https://www.iwanami.co.jp/book/b226271.html 仲野徹先生がその辺がご専門だったらしく、新書一冊でまとめてくださっているので、興味があればかじりついていただきたい。
エピジェネティクスの現象を理解するのはとても面倒くさいんだけれど、たとえば、妊娠中にお母さんがあまり栄養が取れないと、子どもに影響が出る、なんて説がある。具体的には低栄養状態が理由で、低出生体重児として出生した児が成長して体重を回復してくるようになると、いわゆるメタボリック症候群の症状が出現しやすい、なんてことがある(第2次大戦中のオランダで食料供給が制限されたタイミングがあって、その時に低出生体重で生まれた子どもたちがその後メタボリック症候群を発症しやすくなったことが知られているhttps://www.doctor-vision.com/column/knowledge/dohad.php )のだけれど、これは遺伝だけでは説明しづらい、わけで、この辺をエピジェネティクスは説明してくれる学説になっているんじゃないか、って言われている。
ちなみに、「将来の健康や特定の病気へのかかりやすさは、胎児期や生後早期の環境の影響を強く受けて決定される」という概念はDOHaD (Developmental Origins of Health and Diseaseの略)と名付けられていて、エコチル調査なんかもある意味でこの学説?仮説を検証するためのコホート研究ってことになるんだろうと思う。https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/000621779.pdf